三輪流薬莱神楽の獅子舞 @薬莱神社 新嘗祭
おととい23日は、日本全国の神社では新嘗祭が執り行われたことと思います。今年の稲作はことにも豊作で、昔なら両手をあげて稔りに感謝の祈りを捧げたと思います。が、現代はそうもいかないようで、米の買い取り価格が暴落したということで稲作農家のご苦労が偲ばれます。
とはいえ神恩奉謝の祭儀がおこなわるこの日に、今年は宮城県加美郡加美町鎮座の薬莱神社(里宮)へと出掛けました。
本当は今年の8月に行われた篝火神楽を見たかったのですが折り合い合わず、せめても1演目なりとも見たいものと思っての訪問でした。
早めについたので境内を散策すると、茅葺きの山門の側に石碑が・・・
「三輪流神楽試験合格者」とあり明治35年5月の建立のようです。
下の方に人名が彫られてあり、「先生 一條大治 同 宮崎守衛 」と読めます。その後には5名の神楽衆であろう名前が見えます。後で神楽保存会の方に聞いたら、神社周辺地区の先人の名前ということです。
さて、参集殿に入って神楽衆の皆さんとあれこれ話をしながら神事の終わるのを待っていました。
この日は岩戸開きをする予定でしたがメンバーが揃わず、獅子舞に変更ということで、獅子頭が到着です。
耳の形と言い顔と言い、大崎地方一帯の獅子舞の頭と同じですし、この感じは陸前浜の悪魔祓いの獅子舞と同じ風貌ですね。
三輪流薬莱神楽の保存会は、横山信男代表ほか13名ほどで、2年に1度の篝火神楽の際に2ヶ月ほど練習して上演するのが主な活動ということです。
40年ほど前までは正月に氏子集落で獅子舞を門付けして歩いたということですが、今は行なわれていないということです。たまに新築祝いなどの祝い事に呼ばれることもあるということです。
薬莱神楽は、中世にこの地方を支配した大崎氏が保護した社人神楽でした。伊達氏がこの地方の領主となった頃から修験が所掌するようになり、明治の修験廃止後は氏子の有志の手で行われている。
薬莱神社蔵、天保2年の『神楽秘抄』によれば、所伝は26番とあるが、現在は11番を伝えている。
保存会の方に聞いた所では、除魔愛子、濫觴、堅座、神拝、小弓遊、鹿島、州棲、宮志津目、四面切、邑雲、岩戸入岩戸開き、ということです。
薬莱神楽では最初に場を清める舞として獅子舞-除魔が演じられます。
囃子方は細撥で右片面を打つ小太鼓と赤布を付けた短い撥で胴を立てて打つ大太鼓、それに笛がつきます。
次に扇を蝶にみたてて獅子をあやす胡蝶になります。
そして、次に会場を沸かせた山ノ神が出現します。
薬莱神楽の伝書「神楽秘鈔」には、山祇の神が樵の姿に変えて現れ、愛子(あやし)として、獅子を鎮めるとあります。
山ノ神であるのに黒い面をつけていたので、神楽が終わった後に面を見せていただきました。
やはり、切り顎の黒尉面です。
薬莱神楽ではこの三番叟面を山ノ神面として使用しているようです。
動画でどうぞ。
