原体剣舞 卯平剣舞 @奥州市民芸術祭 郷土芸能の祭典
さて本日は原体剣舞さんの卯平剣舞についてです。
その前に、原体剣舞さんの由来について
「慶應元年(1865年) に同じ江刺の増沢剣舞から伝わったという。その後大正8年6月に当地を訪れた宮沢賢治が記した長詩「原体剣舞連」によって広く知られるようになった」
ということです。
伝説では藤原清衡が豊田館に在所した時に清原家衡の襲撃を受けて一族郎党が皆殺しとなった時の怨霊を供養するために始まったと言われています。清衡の亡き妻と子の怨霊供養のため特に女子と稚児の演ずる剣舞になったと言われています。
ササラと 打鉦
後半は三人の狂いになります。
この辺が後の時代に各地の剣舞で様々な派手な踊りの狂い踊りに発展したものと思われます
最後に信坊子が狂いの鬼が置いていった錫杖を取って払いの舞をします。
それにしても、奥州市江刺区内に伝承されている念仏剣舞は非常に趣のある芸能ばかりです。
平泉や胆沢の念仏剣舞と北上の鬼剣舞も優れた伝承芸能ですが、江刺の念仏剣舞も古来からの宗教性を残している芸能かもしれません(大念仏の要素もありますし)。門岡を本来の発祥地とするならばこれを一つの系統として評価してもいいのではと思います。
動画でどうぞ。
