うぐいす沢神楽 高山掃部長者
とても麗らかな一日でしたが、今日は日本全国の神社さんでは新嘗祭が執行され、様々な神事が執り行われたこととお慶び申し上げます。(かくなる私は宮城県の某神社へと出掛けましたがそれは後日)
さあて、本日は奥州市民芸術祭からうぐいす沢神楽さんの高山掃部長者についてです。
その前にうぐいす沢神楽さんの由来について「瀬台野系神楽口唱歌誌」他から
「明治26年8月12日鎮座山神神社奉納神楽として創設された。その後第四代まで続いたが継続することが困難となり、昭和13年に神楽供養碑を建立して活動休止となる。
その背景には時代の趨勢で、舞台手踊や新派劇団の組織と戦争態勢になったため活動が困難になったということです。
昭和63年、地域民から復活の声が高まり川内神楽保存会3代目師匠の指導を得て復活したが、舞手が高齢化して演目も限られたものとなった。
平成8年に地域の若者を募り稽古をすすめ、平成12年に舞台披露の伝承式典を開催し、幕神楽を充実して今日に至る。
初代座元佐藤清三郎、二代佐藤清左衛門、三代佐藤清次郎、四代今野武之進」
ということで、現在の代表者は佐藤満雄さんです。
演目の高山掃部長者は、竹生島弁財天縁起に連なる話として語り継がれている物語を神楽に仕立てたものです。
かつては語り物芸として佐用姫の悲運に涙し、大蛇の乱闘に心踊らせながら聞き入った庶民が、明治以後に芝居として目の当たりにしたわけですので、その人気は現在では計り知れないものがあったと思います。
最初に登場するのは高山掃部長者です。
ここの構成は法印神楽のツケ(翁)の役割を当てており、これから展開する物語のあらすじを説明する言い立てをします。
そして正元年間(鎌倉中期)に奥州一帯が飢饉に襲われます。
しかし、高山掃部長者の妻である三沢御前は米の収穫量を増やすため、使用人の部屋の枕を一本木に変えて、朝のくらい内にその木を叩いて使用人を起こして働かせたということです。
ところが、飢饉の惨状はそれでは収まらず、村人たちは米等の食料を領民に分けてくださいと長者に願い出ます。
そこで、掃部長者は赦して与えようとしましたが、妻の三沢御前はもったいないといって聞き入れませんでした。
掃部長者は三沢御前を見放して離縁します。すると三沢御前は变化してみぞろが渕の大蛇となって祟ります。
バーン!と登場した三沢御前变化の大蛇です!
この後、三人の村人と大蛇の戦いが展開されます。
箒を武器にして戦ったりしてますが、これはもう道化です!
往事の胆沢神楽団体はどこでもこの掃部長者を演じていましたが、最近はめっきり上演することが少なくなってきました。
その中で、うぐいす神楽さんは意欲的にこの演目を上演しておられます。
動画でどうぞ。
