徳田田植え踊り
さて、本日はいわい民俗芸能祭から徳田田植え踊りについてです。
由来については当日パンフレットより
「明治初年より徳田地区の住民が、宮城県の涌谷・米川地区に田植えの出稼ぎに行き、豊作と厄払いの願いを込めて踊っていた田植踊を覚えて、それを徳田地区に伝えたのが始まりで、正月に豊作と厄払いの願いを込めて各家々を踊って回ったと言われています。」
とあります。
この米川地区での田植え踊りといえば狼河原田植え踊りが代表的かと思いますが、この狼河原田植え踊りは胆沢地方(奥州市胆沢区)から羯鼓太鼓の田植え踊りが伝わったと聞きます。
(ちなみに、この狼河原に近い西上沢というところには、奥州キリシタンの中心人物で、異教徒禁令に従わなかった後藤寿庵の墓碑が発見されているというのだから、田植え踊りの伝承と縁の浅からぬ話に思えます。)
徳田田植えさんの特徴は、ステージで演じる際の田の神祭りですね。
戦後途絶えていた期間があったが、昭和52年に八沢青年会が有志を募って復活させ、徳田地域で継承されてきたということです。
現在残っている演目は次の通り。(藤沢町史より)
すりごみ、十七、うすがやから、年の初め、かまくら、朝霧、あさはか、草刈、そうりな十七、どこより、はね十七、夕暮れ、とーふんとや、向山、おいとま
踊りの合間合間に二人の弥十郎が口上を上げて、次の演目を紹介します。
最初は「年の初め」からです
〽 ヤンドヤーハイ お正月は おお目出度いや おお門松を迎えた
ヤンドヤーハイ 年の初め おお目出度いや おお門松を迎えた
ヤンドヤーハイ 白金のまるた桶で 福の水を迎えた
ヤンドヤーハイ なおしたりや うるしの上になおしたりや
ヤンドヤーハイ お祝いは しいげくけれど おつぼの松はそよめく
ヤンドヤーハイ 羽衣の袖の下で 少し名残を惜しんだ
動画でどうぞ。
