南沢神楽 屋島合戦 @いわい地方民俗芸能祭
本日は第11回いわい地方民俗芸能祭が一関市花泉町の花泉総合福祉センターにおいておこなわれました。
その中からいくつかの演目をリポートしていきたいと思います。
本日のトップバッターは南沢神楽さんの屋島合戦です。
その前に、南沢神楽さんの由来について
「明治初期、市野々に本郷神楽が組織され、市野々神楽の本流となったが昭和初期衰退した。
昭和一五年、金野米右エ門が宮元になり、本郷神楽の千葉秀雄師匠を招き神楽の指導を受け、南沢神楽を創設した。戦前は蘇武運一郎師匠が、戦後は蘇武築登師匠が指導に当り現在に到っている。
初代宮元金野米右エ門、二代佐藤匡美、三代蘇武栄、四代蘇武秋男である。
蘇武運一郎は神楽の師匠であると同時に神楽面師でもある。また、岩手県南宮城県北神楽大会の審査員を二○年にわたり勤め感謝状を授けている。」
とありますが、現在の代表は佐藤耕三さんです。
そして、この日の胴を取るのは代表の奥方であられる京子さんです。
屋島合戦は義経主従が戦いの中で勲功を遂げた話ですが、実は義経一番の信頼を置いた武将である佐藤嗣信が命を落とした合戦でもありました。
一の谷の合戦に続いて平家を追討すべく迫った義経主従
戦場にて義経と平家方の能登守教経とが直接対決になるも決着がつかずにいたところ、教経の家来であるわっぱの菊王丸が教経に管矢を進言します。
かくて、継信は管矢を胸に受けて重症の身となります。
戦が終った一の谷の浜辺を忠信が兄継信を探して歩きます。
兄継信の主君義経に対する思いを遂げんとして、四国は高松城へ肩に担いで連れてきます。
そして、継信は主君義経と弟忠信へ形見分けと遺言を残して果てるのでした。
動画でどうぞ。
