富沢神楽 法童丸母子対面の場 @ 蚕養神社例祭
本日は富沢神楽さんの法童丸母子対面の場についてです。
この日のプログラムの中に富沢神楽保存会後援会顧問の阿部武さんが、蚕養神社と富沢神楽の由来について解説をいたしました。
「ここ(弥栄地区の)西風集落は北上川沿いにあるため、3日雨が続くと水が漬く水害の常襲地だった。そのために水害に強い作物をと考え、桑ノ木を植えて養蚕を始めた。養蚕は弥栄地区にとって重要な収入源となったため、毎年無事に蚕が育つようにと蚕養神社を勧請することになった。そこで毎年の祭礼に奉納する神楽が必要となり富沢神楽を創設した。」
ということでした。
まさしく、富沢神楽は弥栄地区の五穀豊穣、諸願成就の祈祷に欠かすことの出来ない神楽であるといえます。
そして、富沢神楽さんにとっても蚕養神社での神楽上演は1年の練習の成果を地域の皆さんに発表する大切な場だということでした。この日も若い保存会員さんが新しい演目に挑戦するなどして、とても張り切って演じていました。
さて、演目の法童丸は一の谷で熊谷次郎直実に討たれた平敦盛の遺児で、源氏の追手を逃れるため泣く泣く玉織姫が捨て子した子どもの物語です。
法然聖人と蓮生坊が拾い上げて育てること7年となったある日のことです。
法童丸が法然聖人らに自分の父母に会いたいと嘆いたので、法然聖人は都で説法会を開き、そこに集まった観衆に父母を知らぬかと呼びかけることになりました。
そこへ玉織姫が名乗りでて、親子の対面をします。
しかし、父はどこにと母玉織姫に尋ねると、玉織姫は傍らに控えていた連生坊=熊谷次郎直実こそ父の仇だとホコを投げつけます。
父の仇と聞いては、例え育ての親とはいえ仇討ちせねばと法童丸は刀を抜いて斬りかかります。
それを押しとどめながらの熊谷次郎直実の長台詞がこの演目の聞き所といえます。
連生坊に説得され、思い直して父の墓所があるという生田の森へと道行となります。
動画でどうぞ。
