富沢神楽 荒駒退治~岩戸入り @ 蚕養神社例祭
本日は富沢神楽さんの荒駒退治と続きの岩戸入りについてです。
その前に富沢神楽さんの由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
さて、演目の荒駒退治ですが、以前このブログでも書きましたが、内容は天照皇大神に対して素戔嗚尊が悪行を働き、そのことに憤慨した天照皇大神が天岩戸に隠れてしまったという神話です。
荒駒退治は別名では高天登り等とも呼ばれています。
父神の伊弉冉尊に命じられて根の国へ降ったはずの素戔嗚尊が高天原に登ってくるのを見た姉神の天照皇大神が思案にくれます。(弟はいったい何しに来るんだべな?って感じです)
素戔嗚尊です。
何しに高天原に来たと天照皇大神に問いただされると、姉神にご挨拶してから根の国へ参ります、つきましては珍しい宝物を持参しました、といって八尺瓊勾玉を差し出します。
それを受け取った天照皇大神はご機嫌上々で「汝 悪心なきとあるならば、まずはこの所に暫く休息したまえやのう」と宝物を持って幕に入ります。
素戔嗚尊が高天原から豊葦原中津国を見回すと、天照皇大神の作る宝田は豊作なのに、自分の領地の田んぼは不作でありました。面白く無いので、天照皇大神の田んぼを荒らしてやれと荒駒を引っぱてきて放ちます。
さあ、こっからが道化でないけど道化です。
南部神楽では、動物の役者がいろいろと出てきます。安倍保名の狐とか、彦火火出見尊のイノシシとか。
ここでは馬が出てきます。なかなか荒駒の感じが出ていて感動しました。まるでゆるキャラです。
そして素戔嗚尊が荒駒の生皮を剥いで天照皇大神の機屋に放り込みます。
と、荒駒退治はここまでで、続いて岩戸入りになります。
天岩戸へと道行する天照皇大神と月読尊が道端でバッタリと老神に出会います。
「そこ元に渡らせる御神は何神にて候やのう」
「豊葦原中津国に隠れなき、猿田彦臣これなりやのう
「見ればご老体の御神と見受ける。御年はいくつに候やのう」
「歳光年来 年過ぎたる者にして、年を重ねること19万8千歳たり」
かくして、天照皇大神の岩戸入の導きをすることとなります。
神々が喜び千代の御神楽となります。
いやーそれにしても富沢神楽さんの創意工夫には毎度驚嘆します。
これで念願の荒駒退治を見ることができたので、次は是非「由利ヶ浜」をやっていただくといいなぁと思います。(できれば気仙沼で)
動画でどうぞ。
荒駒退治
岩戸入り
