富沢神楽 三番叟 @ 蚕養神社例祭
本日は一関市弥栄地区にある蚕養神社の祭日にあたり、地元の富沢神楽さんが神楽を奉斎したことによる一連の祭りの状況のリポートです。
ここは一関市の中心部から東方の北上川沿いに位置する地域で、堤防ができる以前は度々の水害に悩まされてきた地域でもあります。
これは神楽披露の次第の中で解説を話した阿部武さんのものから引用します
「かつてこの弥栄地区では3日雨が降れば道行く村人の挨拶は「雨が降ったから(洪水)来るべ」であったという。
さらに、天保年間に6年続きの凶作となり、年貢米ばかりでなく自分たちの食べるものさえ無くなった。その時、沢田・山田と称する自家米栽培田を持つ農家は強かったという(これを「きしね(米櫃)」と呼んだ)。そして、水害で流されても被害の少ない作物をと考慮した結果、桑の木を栽培して蚕を飼う養蚕の道を選んだということです。
そこで、養蚕が無事に行われるようにと祈願するために明治30年に小野寺きよしなる者が赤荻から神楽を習い、毎年11月2日に奉納するようになった」ということである。
蚕養神社の明神様とお供え物
これは祭りで頂いた護符。
版木で印刷した護符の中に豊受姫大神の御札が入っています。
往時はこの護符が養蚕農家に配られて、蚕室等に貼られていたものと推察されます。信仰の深さが見て取れる証左です。
これは蚕養神社での鳥舞奉納の様子です。
そもそもこの場所は、壇の原(摂待が原)と呼ばれ、かつてはこの場所で祭礼を行い、奉納相撲なども行なわれた晴れの場所であったということです。(壇の原=ダンノハナ であれば古代に舘等があった場所という意味と思われます)
さて、蚕養神社での奉納が終えると、近くの屯所前広場に設えた神楽舞台で富沢神楽さんのお神楽が始まります。
最初は小中学生と婦人部の皆さんによる鳥舞でした。
続いて三番叟です。この日が初舞台となるなるそうです。
なかなかいがったすよ!
動画でどうぞ。
