達古袋神楽 御室焼 瓊瓊杵尊一巻 @第37回平野神社神楽大会
さて本日は達古袋神楽さんの 御室焼 瓊瓊杵尊一巻についてです。
その前に達古袋神楽さんの由来について定本より
「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」
とあります。
演目の御室焼は天孫瓊瓊杵尊が天降った時に出会った木花咲耶姫との間に、三人の子が生まれたが、瓊瓊杵尊は我が子ではないと木花咲耶姫を疑ったため、木花咲耶姫が産屋に火をかけて無事出生したら尊の子であるという占いをした神話です。
神楽では、瓊瓊杵尊と木花咲耶姫が言い争ったあげく我が子を手に掛けようとしましたが止められます。
天児屋根命が仲裁に入り、真の子ならば炎にかけても無事であろうと「火は一天万上の正直なり」と占いを始めます
真っ赤な幣束を揺らして燃え上がる炎を表しています。うまいね~
疑いが晴れて千代の御神楽となります。
このあと見事な崩し舞となります。
動画でどうぞ。
