城生野神楽 屋島合戦継信最後の場迄 @ 第37回平野神社神楽大会
さて、本日は城生野神楽さんの 屋島合戦継信最後の場迄についてです。
その前に、城生野神楽さんの由来について定本より
「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」
とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。
この日の胴取は佐藤涼さんです。
そして鉦すりの中に審査員特別賞を受賞したかえでくんがおります。うまくなりましたね。
演目は屋島合戦から、義経主従と能登守教経勢が激戦を繰り広げ、源氏方の勝利に終わったが佐藤継信が命を落とすという悲劇の物語です。
戦いは義経と能登守教経の大将戦となり、教経の矢面に立って主君義経を守らんとする継信でしたが、一の矢二の矢は防いだものの、管矢を身に受けて重症を負います。
そこへ継信の弟忠信がすかさず教経を討ちます。
それにしても、城生野神楽では忠信は荒方面を付けて豪壮ないでたちとなっています。
通常は継信忠信は双方とも若人面の若武者であることと比べて、より一層忠信が引き立つかんじです。
これは歌舞伎のことですが、曽我兄弟でも弟五郎は兄十郎に比べて血気溢れる荒武者に描かれていて、より二人のキャラクターが引き立つように工夫されています。
さて、閑話休題。
義経は継信の姿が見えないことに気が付き、忠信に行方を探すよう命じます。
夕暮れとなった砂浜を探り歩く忠信に遠く微かに兄の声が聞こえます。
胴取さんの口説がかかります
〽 遠く微かに声がする 敵の管矢にかかるとは 情けもないぞよ 兄上ぞ
継信は今一度主君義経に会いたいと願います。
忠信は兄を背負って高松城へと向かいます。
主君と最期の対面をした継信は辞世の和歌を詠みます
〽 東より 四国八島の磯に来て 君の命をここに継信
動画でどうぞ。
