村上の田植踊 @ ふるさとの祭り2014
さて、本日は福島県南相馬市の室原の田植踊についてです。
由来について
「福島県南相馬市小高区の村上地区に古くから伝わる「村上の田植踊」は南北朝時代に義良親王と北畠顕家がこの地に逗留した時に始まったとされる。明治大正昭和に中断と再興を繰り返し、戦後に復活したが、現在は地元の婦人会を中心に受け継がれてきいる。豊作を願い、震災前は2年に一度、春に地元の貴布根神社に奉納していた。」
ということです。
村上地区は東日本大震災の津波で70数戸あったうちわずか数軒を残して流された。保存会39名のうち会長副会長はじめ12名が犠牲になった。
衣装や道具も流されたが、伝統を次代につなげようと練習に励んできたということです。
まさに地域コミュニティの再生は地域の習俗と民俗芸能の継承を通じた絆の再生であります。
福島県の田植踊りは会津地方の古態を残した優雅なものから浜通りにいくに従って華やかな風流化がなされているということです。
村上の田植踊りでも、最初に田事のまねごとがあり、予祝芸能の形になっています。
因みにこの馬ですが、津浪で道具類が流されたが、田んぼの中に胴体部分の竹カゴだけが残っていたということです。
それを見た保存会の方が「また、田植え踊りをやれってことだな」と復活への思いを強くしたということでした。
孕女が小昼を持って登場です。
「田植え踊りを見て笑ってもらえるのがなによりだ」と保存会の皆さんが言っておられました。
次に田植踊になります。
早乙女と弥八が列になって踊り、そして中心に太鼓打ち2人がつくのがこの周辺の田植踊の特徴です。
弥八は鈴、早乙女は四ツ竹を打ちながら踊ります。
中心にいる太鼓打ちは、宮城~岩手に伝播する中で羯鼓田植えになったのでなということが類推されます。
田植え口上はありませんが、華やかな中にも優雅な踊りの型を残していて正月らしい芸能だと思います。
動画でどうぞ。
