渋民伊勢神楽 @ 一関市大東町 渋民八幡神社例祭
さて、本日は9月7日に斎行されました、渋民八幡神社の秋季例祭についてです。
この祭りで奉納される伊勢神楽は芸能発表会などのステージで見ることはありましたが、以前から祭りの場で見たいと思っておりましたので、ようやく念願が叶いました。
渋民伊勢神楽の由来については「大東町の民俗芸能」より
「渋民伊勢神楽は大太鼓を交互にアヤ(両端に房を付けた撥)で叩いて踊る神楽で、これは二見ヶ浦から昇る太陽を太鼓に見立てて、アヤに祈りをこめて叩き遥拝することを意味する踊りである。
渋民伊勢神楽の発祥は記録がないが、約110年くらい前、小山文七郎、熊谷松治郎、の指導によって今日の原型が定着した。
それから菊池仁助、熊谷巻雄(熊谷松治郎長男)を代表とする時代を経過した後中断されていたものを昭和55年菊池昭二(菊池仁助長男)の指導を受けて渋民讃互会が復活させて今日に至っている。」
とあります。現在の保存会代表は佐藤幸一さんです。
隣接する丑石集落では文政八年に伊勢参りから帰った者達が伊勢神楽を持ち込んだという口承があり、その伝播とみることができると考える。
祭りの方は、渋民の行政自治区が廻り番で建元を務める。例祭日には建元地区の自治公民館において、数10種に及ぶ神饌の「神饌清祓の儀」を行い、その神饌を行列をもって神社に登社例祭の神事を行う。
13時ごろに渋民八幡神社拝殿において神事が行なわれ、次いで渋民伊勢神楽が境内で奉納される。
それから神職を先頭にして献膳行列と神輿が御旅所の仮宮までお通りを行う。
献膳行列
神輿が急階段を降ります。
渋民伊勢神楽も神輿に続いて黄金色の田圃道を踊りながら供奉します。
伊勢神楽は文字通り伊勢の太神楽を模倣して始まったと思いますが、太神楽の方には二本から六本までの綾撥を取り分ける(ジャグリングする)投げ物芸があります。
「日本太神楽事典」によると、曲芸の元祖で天の岩戸を開いた時に喜んで松明を投げ取りしたのが最初であり、そのため(撥の)先を赤く染めて松明の代わりとしていると説明している。
また太神楽では火焔撥の曲という松明を採り物としている芸もあるということです。
廻り曲という演目では綾撥を高々と放り投げる所作がありますが、それとともに踊りの手も細かな所作があり、隣接する他地区の伊勢神楽と比べても勇壮な感じがします。
渋民伊勢保存会さんは20~40代を中心に20人くらいいて、祭りの際には幼稚園児から中学生も練習に参加しているそうです。
祭り当日の巡行では朝8時頃から渋民地区内を廻り、新築や初孫、100歳長寿の祝い事がある家から請われて門打ちをしておりました。
また、今年6月には縁の伊勢神社まで遠征して特別参拝・奉納をしてきたそうです。
地域の結束が感じられる和やかなお祭りでした。
順路は下図のとおりです。皆さんも是非訪れてみてください。
動画でどうぞ。
場所はここです。
