蓬田神楽 八岐の大蛇退治 @ 大威徳天満宮例祭
さて、本日は蓬田神楽さんの八岐大蛇退治についてです。
ところで、今回は蓬田氏の氏神である大威徳天満宮の例祭に奉納するという機会に合わせて、この間一関市教育委員会が3年間にわたる南部神楽調査研究事業の一環として「昔の形」での神楽発表会という形になりました。
主催が「蓬田神楽」発表会実行委員会ではありますが、氏子さんはじめ地区の皆さんの協力によって盛会に導かれたと思いました。
それは、地域のためという気持ちと、天神様への信仰心からであったに違いありません。大切に残していってほしいと願います。
八岐大蛇ですが、こちらでは「吊るし」のオロチになっていますので、幕後ろではオロチを操る綱の引き手が構えています。この引き手の技も見せ所となっています。
ところで、この日の掛け舞台では、床に畳を敷いておりましたが、昔はやはり板を並べて敷いていたそうです。この辺も浜神楽の影響が見て取れます。
そして、直会の際に板敷きについて話題になった際に、昔は船の板を使っていたということを聞きました。
なるほど、北上川河畔の舞川周辺の民家では、昔は軒下に水害に備えて川船を吊るしている風景が見られたものです。
その川船の材料になる板が常備されていた訳で、時に神楽の舞台に使ったり、民家の茅葺き作業の足場になったりということだったそうです。
手名椎がツケの役割で最初に物語の内容を延べ、次いで足名椎と稲田姫が現れ嘆いている所に素戔嗚尊が登場します。
稲田姫を娶ることを条件に八岐大蛇退治に向かう素戔嗚尊です。
オロチの首を落とすと体内からは朱く染められた籾殻が飛び散ります。
見事退治した喜びで千代の御神楽となります。
蓬田神楽に残る古い蛇頭について、神楽が始まる前にこんなエピソードを聞かせていただきました。
昔、北上の方で神楽をやった後、北上川のあたりで、オロチの蛇頭を紛失してしまった。
それから、何ヶ月化した後に舞川の北上川河畔にボロボロになった蛇頭が流れ着いた。
拾い上げて中に書かれてある文字を読んだら確かに蓬田神楽の蛇頭だったそうです。
私もその蛇頭を見せていただきました。神がかっていますね。
動画でどうぞ。
