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2014.07.09 | Comments(8) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

浅部法印神楽 叢雲 @ 第10回登米市民俗芸能大会

さて、今日は浅部法印神楽さん叢雲についてです。

日高見流浅部法印神楽さんの由来は

「室町時代の康暦年中(1379~ 1381)、瀧澤道胤が岩手県東磐井郡藤沢町西口にあった不動院に神楽を伝えたのが「西口流神楽」と称されるもので、寛保年間(1741~ 1744)に上沼八幡神楽へ伝承され、延享3年(1746)、京都賀茂出身で東叡山の峻学が東北地方巡視の折、上沼妙学院(白幡家)方に滞在したとき、良真・自海法印が笛・太鼓の唱歌を学び、元付十二番の神楽を伝授されたのが加茂流神楽と言われ、江戸時代、妙覺院を中心とした六ヶ院の修験集団により神楽が演じられ、文化・文政の頃には加わる法印も増え十三ヶ院を擁するに至り、明治初年まで盛んに行われてきました。
明治初年の神仏分離により修験院が解体され神楽の継承が難しくなったため、旧浅邊村の三壽院芳賀廣瀬法印は、明治5年(1872)、白山姫神社の氏子10名に五十番の神楽を伝授し、「日高見流神楽」と称して、今日まで連綿と伝承しています。この神楽は、「流神楽」と呼ばれ、全国でも登米市中田町の「上沼」と「浅部」の2か所にしか伝承されていない貴重な神楽です。
法印神楽は、陰陽道に基づく独特な手印を結び、特殊な足踏をし、複雑な多くの舞型を残しています。
昭和51年(1976)には「大乗飾り」と呼ばれる特殊な舞台飾りを復元させています。」

とあります。

本田安次著の「陸前浜の法印神楽」によれば、その演目は
表十二番「神拝、宮静、初矢、魔王除、普照、後矢、ニノ矢、龍天、弓劔、生束、三種荘、岩戸」
裏十二番「天浮橋、三穂浮船、注連切、岩板、盤牛、宇賀玉、六算返敗、神宝、萬歳楽、邑雲、高千穂、笹結」
更に表九番と裏九番、五番、三番、七五三 ということです。

昭和47年に保存会を設立し、昭和61年に宮城県の無形文化財に指定されています。
現在の代表は二階堂清勝さんです。



この叢雲は裏十二番のうちの演目で、いわゆる八岐大蛇退治の物語です。

最初に素戔嗚尊が出て老夫婦に語りかけます。
次に手名椎足名椎が出て、大蛇の害により娘を差し出さねばならない経緯を述べます。

DSC02796.jpg

稲田姫がステージ下の椅子に座っている所に大蛇が迫ります。
すると稲田姫は経文を書いた巻物をかざして退治しようとします。

DSC03554.jpg

しかし、大蛇に追われて、ついにはステージ上へと追い込まれます。

DSC02808_20140709201012aba.jpg

そこへ責役の素戔嗚尊が出て大蛇を退治します

DSC02812.jpg

大蛇の首を取った素戔嗚尊は一巡りして幕入りとなります。

DSC02831_20140709201007051.jpg


動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2014.07.09 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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