笹流加賀野神楽 一の谷首取りの場 @第10回神楽共演石越大会
さて、本日はは笹流加賀野神楽さんの一の谷首取りの場です。
加賀野神楽さんの由来について
「笹流神楽は、志波姫町出身の南部神楽師・鹿野吉三郎が興した流派で、現在、志波姫に大平神楽として伝承されています。
明治43年(1910)、鹿野吉三郎を師匠に招き中田町石森野元の千葉源吾宅において修練を積み、「野元神楽」として始めたのが「加賀野神楽」の前身で昭和20年(1945)項まで盛んに演じられましたが、戦後は高度経済成長による社会情勢の変化や後継者不足のため行われなくなりました。
野元神楽を伝承していた中田町宝江新井田の熊谷孝翁が大正6年(1917)頃から新井田地区の人たちに教え「笹流新井田神楽」を興しています。
昭和53年(1978)11月、長らく途絶えていたこの神楽を後世に残そうと加賀野地区の青年たちが中心となって同系統の南部神楽である「新井田神楽」から手ほどきを受け、「加賀野神楽」として復活し、その後は「なかだの秋まつり」をはじめ、各種イベントや大会に出演し、現在、若い後継者も育つています。」
ということですが、この日の舞手も若者中心で頑張っていました。
胴は菊池喜一会長さん、笹流独特の拍子といった感じです。
幕出しは 〽 センヤーハー 熊谷が一の谷に急ぐなり
熊谷次郎直実です。
加賀野神楽さんでは、特に荒方の指し手に法印神楽の影響が残っていそうです。
この日の舞手は若手だったこともあり、今まで見た加賀野神楽さんとはちょっと印象が変わりました。
スピーディーで躍動的です。びっくりしました。(どうやらゴム底足袋を履いているようです、荒舞に備えてのことでしょうか)
熊谷が敦盛の首を取るに取られず逡巡する所作が実に躍動的です。
熊谷と敦盛の愁嘆も独特の演出があります。
そして、泣く泣く首を取るわけですが、御印の取り方も独特です。
ハリボテの首に面を付けたものを熊谷が取り上げるのが多くの団体での手法ですが、加賀野神楽さんでは敦盛がその場で面を外して、その後に手のひらで顔をかくして幕に入ります。
なんだか古風な感じがしていいですね。
敦盛を討った後、首を懐に出家の道へと歩み出す熊谷次郎直実です。
見事な一の谷でした。
動画でどうぞ。
