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2014.05.08 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

大室南部神楽 羽衣 @第1回きたかみ春まつり

さて、本日はきたかみ春まつりから、大室南部神楽さんの出演演目トップとなる羽衣についてです。

その前に大室南部神楽さんの由来について当日配布されました「大室南部神楽保存会 演目帖」より抜粋掲載致します。

「大室南部神楽は大正10年、岩手県一関市藤沢町(大津保村)出身の神楽師・千田清人氏が舞を指導したことに始まるといわれており、磐井地方の流派、瑞山流を継承しています。千田氏は大室の佐藤庄吉氏の自宅に数か月滞在しては、何年も地域の若者たちへ神楽を伝えたといいます。
当初は佐藤省吾氏ほか13名で神楽団をつくり伝承、佐藤省吾を師とした二代目は10名が指導を受け、近隣の神社の祭りなどに参加するなど披露してきました。8名が三代目を受け継いでいましたが(昭和8年)、戦争のため中断していました。佐藤清次氏の指導により昭和50年、25名が継承しました。この頃は、各地で休止中の伝統芸能が復活した時代でもありました。それからは各地のイベント等に参加し、地域の児童生徒を指導するなど活発な活動を行ってきました。
昭和57年に北上町指定無形文化財の指定。登録を受けました。

佐藤哲氏の指導のもと、子ども神楽も誕生し各地に招かれ数多く出演し活躍しましたが、平成10年頃から担い手不足により活動が一時止まっていました。」



とあります。

宮城県内における南部神楽は明治中頃から栗原地方を端緒として多くの神楽団体が生まれ、地域の祭礼や他地域に招かれての興行などで大人気を博した。
しかし、その敷衍した地域も北上川西岸地帯が主で、北上川から陸前浜に挟まれた地帯では北上町3団体、志津川と歌津に1団体、東和町・気仙沼市に各3団体と少なくなっている。(西岸の登米栗原には約90団体)

というのも、この桃生・本吉地方には古くから法印神楽が多く伝承されていたこともあり、明治中頃まではその影響が色濃く残っていたせいもあるように思われます。

しかるに、明治維新によって一般市民にも娯楽に興ずる余裕が出てきて、より華やかな南部神楽を習い覚える集団がでてくるようになります。

そんな中で発祥した大室南部神楽も、瑞山流の勇壮な舞い振りとともに、周囲を法印神楽に囲まれているためか、手次ぎや足踏みがしっかりした芯の通った型になっている。
古風な中にも凛とした神楽の方が残っているとおもいます。



さて、羽衣です。
羽衣伝説から筋立てを引く物語の演目です。

出演するお二人は共に女性の舞手ですが、初演ということです・・・って、初演とは思えない程の幽玄能を思わせる美しい舞でした。

羽衣を拾う白両役の梨恵さんです。

大室の衣装は十三浜のお母さんたちの手縫いということですが、綺羅びやかです。

DSC00272.jpg

そこへ、羽衣の持ち主である天女が現れ、羽衣を返してほしいと白両に懇願します。

DSC00307_2014050821474519d.jpg

天女役は恵さん、姫舞は初めて見ましたが、内陸部の山祇舞とも趣が違い、天女の心の動きが表現された流れるような舞です。

DSC00362.jpg

白両は羽衣を返してほしくば天人が舞うというこの世ならぬ舞を所望するのでした。

DSC00395.jpg

白両が天女の舞にみとれている間に天女は天空へと帰るのでした。

正に、白両とともに観衆も天女の舞に見とれた30分でした。
十三浜の浜風に乗って天女が舞い踊った一幕でした。
舞手のお二人に感謝感激です。

DSC00418.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2014.05.08 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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