増沢神楽 羽衣 @吉祥寺子安観音例祭
さて、本日は増沢神楽さんの子安観音例祭奉納から最後の演目で羽衣です。
この演目は、昔話としてもよく知られた羽衣伝説がもとになっています。
およそこの羽衣という演目は謎が多く、出典は能楽の羽衣に違いはないのですが、東北地方の神楽となると派生している神楽はあまりないようなのです。 異傳の法印神楽である浅部法印神楽にはこの羽衣がありますが、伝書には手次が記されているばかりで現在は実演は観られません。
また森口多里も「岩手の民俗芸能 山伏神楽編」の中で「羽衣」について次のように記述しています。
「これは山伏神楽では見たことがなく、権現神楽ではない県南神楽で演じたのを二度ほど見たことがある。しかし慶應元年三月の神風神楽記という写本(紫波町内村家所伝)には巻頭に出ている。この写本は神風と銘打っているけれども内容は山伏神楽特有の舞を主としている 云々」
とあるように、森口も南部神楽でしか見たことがないと言っています。
浅水法印神楽の以外の法印神楽組の演目を探っても見当たらないということは南部神楽成立時期にこの演目の台本を書いた者がいたということか。
謎解きはともかくとして、先に幕から出た白両が松の枝にかかる天の羽衣を見つけて我が家に持ち帰ろうとします。
そこへ、天女が現れて羽衣を返してほしいと懇願します。
羽衣伝説ですと、ここで白両が羽衣をあっちこっちに隠して天女を天界へ帰させまいとしたり、妻になれば返すとか言ったりして天女をたぶらかして子供まで作ることになります。。(ヨーロッパでいうところのワルキューレ伝説ですが)
能楽では人の良い白両は、天女の美しい舞を見せて貰えば返すということになっています。
かくして、白両に羽衣を着せてもらい、お礼に一舞して天へと帰っていきます。
以上で神楽が終わり、舞台を片付けている傍らで、胴取りの村上さんにお話を伺いました。
昔は寺社での奉納神楽の他に「神楽を立てる」ということがあった。
神楽を立てるというのは子どもが生まれたから山ノ神に奉納して無事成長するよう勧進するためとか、家を新築したからその祝いと火難消除を願って神楽をしてもらうといったことであったらしい。
これは今で言う興行神楽とは違い、様々な信仰要求に答えるべく神仏に成り代わって守護する神楽の姿が見える。
だからこそ、神楽を呼び、多額の奉納金を差し出して祓い清めてもらって満足する庶民の姿が垣間見えるのである。
因みに、この村上さんが体験したことは、昔は気仙沼の大島へも興行に行き、大変な歓迎を受けたということです。
当時を懐かしむように話していただきました。
動画でどうぞ。
