狐禅寺天王獅子舞 春祈祷巡幸
本日は彼岸の中日ということで、一関市狐禅寺地区に伝わる天王獅子舞についてです。
春だというのに大雪に見舞われ大変寒い中でしたが、例年春分の日に200年以上前から行われているとあって朝の8時30分に稲荷神社へと駆けつけました。
ここは、一関市の北上川東岸に位置する集落で、最近になって近くの高台に県立いわい病院が移転してきて住宅も増えてきましたが、閑静な農村部です。
この神社は小倉山稲荷神社といい旧狐禅寺村の村社であります。かつては境内に八雲神社(天王社)もあったが現在は稲荷神社に合祀しているため、その奉納神事芸能として天王獅子舞が古くから行われてきたということです。
巡幸する神輿にご神体を遷します。
獅子頭に幣束を取り付ける作業です。毎回新しい幣束をつけるとのことです。
宮司が祝詞をあげるなか、天王獅子舞が奉斎されます。
御神楽から順に鈴採り・扇採りと舞われます。
いよいよ宮出しです。
法螺貝を吹いて出発です。
ここで天王獅子舞の由来について「一関市文化財調査報告書」より抜粋
「文化二年(1805年)に狐禅寺久田の修験、来善院の恵順法印が、当時地方に悪疫が流行したので、仲間の法印たちと羽黒山に行き、修験道場から獅子舞を習得して帰り、八雲神社の御輿が村内を戸別御巡幸するとき、獅子舞が付き、疫病退散、悪魔降伏の祈祷のため、この舞を行ったのが最初で、その効験著しかったので、その後毎年欠かさず行われてこんにちに至るものと伝えられる。
今は春の彼岸に三日間位各戸をまわる習わしとなっている。
種目は、祈祷舞、火難除け、疫病退散の3つ」
ということです。

今は軽トラックに乗せて、各民区の集会所等に集まった地区民の前で祈祷と獅子舞を行っているが、かつては彼岸の3日ぐらいをかけて1軒1軒門付して歩いたということです。
この日は雪のため出しませんでしたが、幟を掲げて行列し、槍や鉞等の祭具で悪魔を払いながら歩いたということだ。

門付けの最初は宮司さんのお宅でもある「あいな亭」で出陣式の一舞となります。

続いて真滝2区公民館での巡幸です。
地区民の皆さん20人ぐらいがお祓いを受ける中で祈祷獅子舞です。

鈴採り扇採りの御神楽です。
保存会のメンバーも千葉征輝会長他7人いるため演目毎に入れ替わって舞うことができるようになったが、舞手が不足して大変な時期もあったということです。

新宅祝いに行われるという「柱がかり」です。
陸前浜の獅子舞ではこの演目を「虎舞」と称して柱から天井まで嘗め尽くすように舞いますが、まさに同じ流れの舞形です。

神社で氏子の方々に聞いた話ですが、稲荷神社の祭日は10月1日で、かつては境内の神楽殿では賑やかに民謡歌手や股旅舞踊それから映画等も行われたということです。
更には、神楽殿ですので神楽も行われたということです。狐禅寺神楽のことと思われますが。
保存会の方の話では、現在も高齢になったが4名ほど舞手がいる。なんとかしてもう一度神楽をやってみたいと考えている。
とのことです、狐禅寺神楽は黒沢神楽の系統です。
是非復活してほしいと思います。
動画でどうぞ。
