3月11日に思う
あれから3年の歳月が流れた。復興が進んでいないとか、無駄な予算が使われているとか今日もけたたましい報道がながれていますが、三陸の海は今日も鈍色の空と海が広がっていると思います。
そんな中でも、三陸沿岸の皆さんは前を向いて力強く前進しておられることに敬意を表します。とともに、何もなしえていない自分自身に反省もしきりですが。
さて、おとといの日曜日に陸前高田へ寄って、いつもの川原祭組さんの集会所ちかくにある陸前高田市消防団高田分団第一部慰霊碑に花を手向けて参りました。
今年は他に用事もなかったので、ゆっくりと考え事をしながらでした。
ここは11人の津浪で殉職した消防団員の方々を追悼する場です。
消防団員というのは、昔で言えば火消防火の契約講のようなもので、昔なら半強制的に加入させられたのでしょうが、現代においてはボランティアでの参加が主となっているようです。
なので、年々消防団員の高齢化が進むと共に団員の現象が課題でしたが、沿岸部においては地域的特性から比較的若者の入団者も多く、活気に溢れているようです。
そして、消防としての役割ばかりでなく、地域のコミュニテイ組織の手足となって機敏に動けるグループでもあると思います。
そのことは集落の祭礼の場面でも同じで、昔で言えば若者組(若衆宿)の機能を持っているので、芸能を担ったり、神輿担ぎなどにも即戦力として期待されたりもしています。
そんな日常的な繋がりがあるからこそ、かの大震災でも消防隊員としばかりでなく地域社会に貢献する気概をもって津波に立ち向かって行ったのだと思えるのです。
だから、こんなにも大きな、あまりにも痛々しい損失を蒙ってしまったのが残念です。
しかし、高田の若者たちはそんなことにひるんだりはしません。
先週にも高田の復興商店街に立ち寄った際に、消防団の若者たちが嬉々とした顔ぶれで1軒1軒を廻って笑顔で「火の用心よろしぐ!」と声をかけていたのに出会いました。
高田の明日は明るい!負げねぞ!
