細野神楽 田村一代記 @ 第35回志波姫神楽鑑賞会
本日は細野神楽さんの田村一代記についてです。
その前に細野神楽さんの由来についてです。
「細野神楽の由来については文献もなく定かではありませんが、江戸時代末期に始められたものと思われます。
明治十年代(一八七七〜八六)から二十年ほど途絶えた時期があり、当時、唯一の娯楽であった神楽がなくなったため賭博が流行しました。これを憂いた佐藤伊勢松・千代松親子が、明治三十三年(一九〇〇)若柳町畑岡(現栗原市若柳)から同系の「滝沢流畑岡神楽」より南部神楽師・高橋忠右衛門を招いて「細野神楽」を復活させたと言われています。
昭和二十年代(一九四五〜五四)に入り股旅舞踊の人気に押され神楽も一時廃れましたが、昭和四十七年貧九七二)十二月、地域の青年会の熱意と佐藤千代美翁の努力により復活し、保存会も設立されて現在に至っています。」
当事な層ですが、現在の代表は佐藤宏さんです。
保持する演目の中に荒恵比寿というものがあるようですが、一度見てみたいものです。
さて、演目の田村一代記ですが細野神楽さんの代表的なもののようです。
将軍・二条大納言田村利春公は奥州巡回の折、道に迷い山中の一軒家に辿り着いた。そこには竜女の化身で都から来たという若い女が一人で住んでいた。
そこへ、利春が一夜の宿を請うと快く承知して泊めてくれた。
都の話や得意の笛を聞かせながら何日かが過ぎたある日、女は妊娠したのでお産をするために、遥か加賀と越前の国境にある「茂井ヶ池」の真ん中に、十丈も高い櫓を組んで産小屋を造って欲しいという。
そして、百日百夜の間は人の行き来をしないようにと言う。それに応えて利春は産小屋を造り、女はその産小屋に入ってお産をする。
それを不思議に思った利春は,百日百夜の最後である九十九日目の夜にその産小屋を覗いてしまう。すると、そこには恐ろしい大蛇が角と角の間に赤児を抱いてあやしている姿を見てしまう。利春は自分は大蛇と一緒になってしまったのかと悔やむ。
約束を破られた女は利春を責めるが赤児を利春に渡して、その子に「二条中納言利光」と云う名をつけるように言い残し、形見に神通の鏑矢を残すと再び大蛇の姿になって、我が子を案じながら池の中に姿を消します。
動画でどうぞ。
