川東神楽 曽我兄弟の仇討@第24回衣川神楽まつり
ということで、本日は衣川の川東神楽さんの曽我モノについてです。
その前に川東神楽さんの由来を定本から
「古くは、石畑神楽として組織されていたがその後全く消滅した。
大正一四年、川内神楽の高橋栄助師匠の指導で、御神楽とくづしを習い、更に平泉町戸河内の菅原慶吉、川坂賢三郎の両師匠の指導により、川東神楽を組織し発表会を開催した。
戦後一時中断していたが、昭和四八年先輩達の指導により復活し現在に至っている。
大正一四年頃の庭元は小野寺滑内、戦後は千田信治、現在の庭元は千田精である。」
とありますが、現代の代表は千葉庄司さんです。
この演目は能あるいは阿国浄瑠璃で取り上げている演目で、それが次第に京から東北へと流れてくるに従い、様々なレトリックがついて伝承されてきたのだろうと思います。
工藤祐成が最初に物語の冒頭で自らの悩みを観衆に伝えます。
そして、曽我兄弟の母が仇討ちの心を見破り、後生を祈って己が小袖を授ける場面となります
ここで、勘当された弟が、自分にも仇討ちの印としての小袖を賜わろうとするが母は一度感動した息子にはやれぬと答えます。
しかし、母はしばし考えてこう答えます。
「世の中に、親を思わぬ子はあれど、子を思わぬ親はなし、今は勘当を解いて我が子の本望を遂げさせばや」ととなえます。
動画でどうぞ。
