迎山流丑石鹿踊 @ 大原水かけ祭
さて、本日は大原水かけ祭りから丑石鹿踊についてです。
丑石鹿踊さんの由来について
一関市大東町鳥海に伝承する行山流山口派といわれる流派で、寛政12年に築館村前田野(大東町沖田)の武左衛門から久三郎が弟子人始末書を差し出して習得し、仲立ちとなって踊り組を結成したのが始まりとしている。
鳥海の物沢の及川新栄家隣地の林に寛政12年の久三郎他12名の鹿踊供養碑が残っている。
後に隣接する中川や京津畑にも伝えたが現存していない。
この日は都合で6人での舞となったが、中に一人中学生の女子が加わっており、元気に踊っていたのが感心させられました。
丑石の踊りは頭が小ぶりであるのと、動きが荘厳な感じがするので、非常に重厚な感じのする踊りとなっている。
動画でどうぞ。
