観音経の功徳
毎年正月の朝には暇に任せて元朝詣りウォーキングをする。
といっても大した距離を歩くわけではなく、近場の水沢旧町内の寺社を巡りつつ元朝詣りをしたつもりの一興なのではあるが。
そんな中で、水沢に昔から伝わる仮諦神の守護神を廻る。
拙宅から最寄りの高麗八幡宮は昔より戌亥八幡と呼ばれ、私の生まれ干支である戌年の守護神でもあるので、初詣には欠かせない。
次には虚空蔵小路に詣で、その先に川口町の大日如来様に詣でる。
ここは水沢の春祭り日高火伏祭の山車回しの丁切りともなるところ。ここで全ての囃子屋台が切り返して互いに威勢を競うところだ。
そこから立町柳町を経て大町から東へ小径を抜けた所にかつて二十五観音堂があった。
これは旧藩主の留守家に関わる信仰で、城の東を護持する観音信仰に基づくものであった。
それが、明治以降には信仰も薄れ、昭和期に至っては忘れられがちになり、戦後の町方の隆盛にともなって邪魔な存在にすらなってきた。
そして平成の時代になり、立町柳町大町と商家が衰えを見せて、郊外のショッピングセンターと街なかの人口とを結ぶ路線が必要になるや観音堂は往来の邪魔になり、大林寺にひきとられることとなった。
大林寺は曹洞宗の寺ではあるが、もともと修験のいる寺であったため現在でも駅前周辺の商家には春祈祷の札を配ったりしても射る。
で、この札に書かれているのは観音経の一節で、六字名号と等しくこの名を唱えれば功徳が体現できるというものである。
この大林寺では元旦の参拝客だけにこの札を無料で配布しております。
数に限りがあるので拝領できれば幸甚というものです。
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼
意味は、あらゆる功徳をそなえ、いつくしみの眼をもって衆生をみそなわします。
しあわせのあつまる海は無量です。それゆえにまさに、観音様の御み足をわが頭頂に、いただくように礼拝しなさい。
ということのようです。
観音信仰は修験宗にも通じることで、かつての水沢町内は山伏修験が割拠していたという伝承を今に根拠付ける一端かとも思われます。
