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2013.12.08 | Comments(2) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

臼澤鹿子踊 @ 奈奈子祭 冬の陣

本日は12月7日に行われました奈奈子祭 冬の陣から臼澤鹿子踊の上演についてです。
主催した橋本教授の心配を他所に大広間が満席の大入り状態でした。ので、後半は私は遠慮して退散です。


奈奈子祭とは、東日本大震災で甚大な津波の被害をうけた釜石市箱崎町、そこに笹山さん(奈奈子さん)のお宅がありました。
そこでは、かつて年ごとに冬になれば鵜鳥神楽が巡演に訪れる神楽宿として賑わいを見せていました。
しかし、震災以降は神楽の廻村上演が困難になりましたが、祭りを行うことに寄って被災した箱崎白浜に元気を取り戻そうと、様々な支援団体の力を得て開催したのが今年の2月24日でした。

それ以来、7月27日に開催された釜石市鵜住居町の宝来館での夏の陣に続いて3度めの公演です。

3度めともなると、MCも板についてきた奈奈子さんです。



トップバッターは臼澤鹿子踊りさんです。

IMG_3093.jpg

由来について「大槌の郷土芸能」より引用

「臼澤鹿子踊りの発祥は、現在の茨城、千葉近辺とされ、古くから農漁民によつて豊作豊漁、子孫繁栄、神仏礼拝など、生活に根ざした崇拝や娯楽として舞われていたものが原形とされている。
大槌への伝来は、1600年代、寛永の頃、当時は俵物と呼ばれた海産物の交易のため房州方面から出入りしていた船乗り達により伝えられたものである。
そのために当時は「房州踊り」と呼ばれ、主に時々の娯楽に庭踊りとして数十年にわたり継承された後、元禄14年1日8月14日、一の渡に鎮座していた小鎚神社への鰐口奉納を祝い、境内で儀式を正して舞つたのが小鎚神社での舞初めであつたとされている。この鰐口は現在も、小鎚神社の分社として祀られている臼澤の社に現存している。
この頃から発祥地と同様に神前での祈願、礼拝踊りが定着していったが踊り手法はまだ完成されたものではなく、更に後年、天明の頃、小鎚在の住人が諸国遍歴のおり、鹿島地方で偶然「房州踊り」に出会い、見覚えのある所作に加え、勇壮にして野趣豊かな踊りに魅せられ、そのまま長期間逗留し、舞、笛、太鼓を習い覚えて帰郷し未完成であつた鹿子踊りを完成させたと伝えられている。
また「しし踊り」と呼称されるようになつたのもこの時期以降であり、親子兄弟友達が仲良く踊るという意味から「鹿子踊り」と称し現在に継承されている。」

ということです。

IMG_3109.jpg

今日は地元のホテルでの上演ということで力が入っていました。
私的にもここのホテル(旧称:浪板観光ホテル)は、釜石在住時代は研修や会議等で宿泊したことも多くあり格別の思い入れがあります。
次は黒森神楽がここで上演されればなと思いました。

IMG_3115.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2013.12.08 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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