達谷窟毘沙門神楽 くづし舞、五條の橋
本日はいわい民俗芸能祭から達谷窟毘沙門神楽さんの「くづし舞、五條の橋」についてです。
達谷窟毘沙門神楽さんの由来については定本より
「今から230年ほど前に始められたと言い伝えがあるが資料はない。
明治初期、水沢市北下幅神楽と、大正初期水沢市瀬台野神楽を指導し交流がなされている。
現在の神楽は、昭和四八年、平泉町平泉字上窟の阿部幸吉師匠の指導により復活したものである。
古い庭元のことは不明であるが、現在照井幸男が代表者となり世話している」
とありますが、現代表は照井幸子氏であります。
ここの神楽組は文字通り平泉の達谷窟毘沙門堂 別當達谷西光寺に奉仕する神楽として有名であります。
毘沙門堂での例祭には必ず窟内で御神楽を奉納しています。
このくずし舞は達谷窟毘沙門神楽の独特のもので、亡くなられた先代の胴取の掛け声を中心にして女性たち円陣を組んで、円の中心部に幣束振り込みながら「センヤ~ハァ~」と神歌を上げていたのが思い起こされます。
続いての演目は、五條の橋
牛若丸と弁慶の物語
采に特徴がありますが、これは達谷窟毘沙門神楽の存立する位置的関係からすると、古い時代の采の形かも知れません。今の時代の荒形の采は、皆ピンと張った采なのですから。
達谷窟毘沙門神楽さんは、現在は胴取から舞手まで全て女性で構成されています。
そんなこととは別に、伝承は男女の別なく神楽を受け継いで行こうとする意気込みや思いによって成り立っている感じがします。
これからの時代はそれが最も重要なことだと思います。
牛若丸さん
弁慶の長刀をかわす牛若丸
動画でどうぞ。
