南下幅念仏剣舞 膳舞、刀剣舞 @街なか交流館
さて、昨日に引き続き南下幅念仏剣舞さんの公演からのリポートですが、その前に少し横道にそれた話題をひとつ(年末なのでお許しあれ)
ここにひとつの石碑があります。
場所は宮城県登米市南方町板倉87番地と案内看板に書いてあるとおり、佐沼の町から南方の道の駅に行く途中で農道を200m程西方に向かった路傍にあります。
碑文には正安二年(1279年)閏7月15日にこの地で48日間に渡って踊り念仏を修した旨が刻まれているようです。
時宗開祖の一遍上人が京都を出立して、踊り念仏を初めて修したのは信濃の小田切であり、その後白河の関を越えて、彼の祖父である河野通信の墓に詣でたのは1279年の秋ということです。
なので、この48日の踊り念仏は果たして一遍一行が関与していたかは微妙なわけですが、すでにこの頃より踊り念仏が50余人もの大人数で融通念仏されていたということは確かなようです。
そして踊り念仏は民衆に広く親しまれるようになるにつれて念仏踊として風流化し、より綺羅びやかな装束を纏ったものや、大胆な構成で耳目を集めるようなものが流布し、様々な民俗芸能へと発展していったのです。
さて、岩手県南の念仏踊の多くは平泉を舞台として源平の戦乱で夥しい死者を出したことを追悼することに基点を持っております。
そのような中での胆沢地方の念仏踊の象徴的な形態が念仏剣舞となっています。
これは死者に対する追善供養の念仏とともに、悪霊を退散させる威力をもった祈祷舞とが融合した芸能であります。
閑話休題!
本題に戻って、この日の演目の中で一番喝采を浴びた膳舞です。
舞手はブログ「南下幅念仏剣舞【非公式】奮闘日記」作者のnasukawaさんです。ブログはこちら⇒http://hachigoro.blog.fc2.com/
途中で、客席から連れ出して膳舞の体験です。こうすることで膳舞がいかに難しい技かがよくわかります。
ちなみにこのお客さんは後で江刺の片岡念仏剣舞の方だったことがわかりましたが、膳舞が大変素晴らしいと褒めておられました。
nasukawaさんは、お会いすると小柄な方ですが、剣舞を踊っている時は勇壮で大きく見えます。
次は刀剣舞です。
ところで、この日は肝心の跳ね胴姉妹は風邪(?)のため欠席でした。残念でしたが、また来年。
引き念仏から早念仏、讃と続いて狂いに入ります。
本来は八人舞です。剣舞衆に加わりたい方は是非とも南下幅念仏剣舞に入門あれ。
そして二人狂いになって舞納めます。
動画でどうぞ。
