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2013.11.02 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

嵯峨立神楽 軍勢借り @平野神社神楽大会

本日は 嵯峨立神楽さんの軍勢借りについてです。

その前に、嵯峨立神楽さんの由来について

「嵯峨立神楽は、修験道賀多羽流と称し弘化年間(1844~ 48)嵯峨立普慶院第二十四世佛心得宗大和尚により伝承されたと言われていますが、中田町上沼八幡山にある「上沼加茂流法印神楽」の由来書には、江戸時代中期、中田町内にある六ヶ院の法印たちにより神楽を執行し、文化・文政の頃には、東和町錦織や嵯峨立の法印も加わり十三ヶ院で神楽を演じていたとの記述があり、現存する古い神楽本には上沼や浅部の法印神楽と同じ演目が残されています。
明治初年、神仏分離令により修験宗が解体され、法印神楽の継続が困難となり、明治初期に当時流行していた南部神楽を取り入れ変容したものと思われます。
他の南部神楽では決して演じることのない法印神楽のみに伝わる「笹結び」や「宇賀玉」などの演日が嵯峨立神楽には伝承されており、法印神楽の芸風を色濃く残したきわめて貴重な南部神楽となっています。」

とありますが、現在の代表は小野寺義之さんです。


佐藤庄司基治です。流れ神楽っぽい面ですね。

DSC09645.jpg

軍勢借りとは、義経が頼朝の出陣に参戦しようと平泉から鎌倉へ行く途中で加勢の家来を得る話となっています。
藤原秀衡から荘園を預かる佐藤基治は福島県の飯坂周辺を根拠としていた。
そこを訪れた義経が武勇をはせた兄弟がいるということで、二人のうち一人でも貸してほしいと佐藤基治に願い出る。

DSC09647.jpg


継信と忠信は、我こそ武勲を立てたいと他をおしのけて出陣しようと兄弟争いをします。
そこで父基治は二人とも義経の家来となって名を挙げよと告げる。

DSC09669.jpg



動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2013.11.02 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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