長下田神楽 高野山物語より石童丸 @平野神社奉納神楽大会
本日は長下田神楽さんの高野山物語より石童丸ですがその前に長下田神楽さんの由来について
明治26年(1893)、岩手県西磐井郡花泉町の上油田神楽の南部神楽師 佐藤和三郎を師匠に招き、五穀豊穣を祈願して「橋向神楽」として創設されましたが、その後、二つに分かれ、昭和24年(1949)池田清治を師匠に「長下田神楽」として継承され、現在に至っています。
とあります。現代表は猪股一雄さんです
さて、演目の高野山物語より石童丸ですが、これは仏教説話による奥浄瑠璃などから伝わった物語です。
九州筑紫の国の侍である加藤左衛門繁氏がある時に自分の身上に疑問をもって、妻子がありながら出家して奈良の都へと去ってしまった。
やがて14年の月日が立ち、その子石童丸が自分の身寄りが無いことを怪しんで親代わりの上人に尋ねます。
高野山の苅萱道心が父親だと母に教わり、単身で女人禁制の高野山へと登りますとそこには、
石童丸は苅萱道心に父親だと名乗りをあげてほしいと懇願しますが、仏道に入った身で妻子に執着することはまかりならんと、
石童丸におまえの父親はもうこの世にいないから、早く母親のもとへ帰られよと諭します。
学文路の宿に戻って見ると母親は亡くなっていました。
石童丸は再び高野山へ行き、父とは知らず苅萱道心のもとで修行することになりました。
石童丸物語は中世以後、高野聖の一派である萱堂聖によって全国に広められましたが、江戸初期には説教・浄瑠璃から琵琶歌となって広められたということです。
動画でどうぞ。
