栗原神楽 法童丸父対面の場 @平野神社奉納神楽大会
さて、本日は栗原神楽さんの法童丸父対面の場についてです。
その前に、栗原神楽の由来は「南部神楽系譜調查報告書」より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出をし承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野有の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。
初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」
現在の代表者は今野久悦さんです。
さて、演目の法童丸父対面の場は、能楽で言えば「夢幻能」となります。
一の谷の合戦で熊谷次郎直実と一騎打ちを戦い、若干17歳で首を討ち取られたが、熊谷次郎直実の武士の温情で手厚く葬られた上、直実自身が出家して菩提を弔い、彌陀の浄土に座った敦盛だが遺児法童丸の行く末を案じて姿を表すという筋立てです。
法童丸は直実改め蓮生坊と法然上人に育てられたが、自らの身の上に父母がいないことを不満に思い、二人の育ての親に、自分の実の親を教えてほしいと願いでる。
すると法然上人は父敦盛の墓所を教えて墓参りせよと諭す。
父の墓に向かって一心に弔いをする内にうたた寝をしてしまう。
ここから夢幻能の世界です。
霊魂となった敦盛が、息子の法童丸に自分は熊谷に討たれたけれどもそれは戦の常であり、熊谷は自分を手厚く弔ってくれたのだから決して親の敵と恨むなと諭します・・・ここで、場内の観客の皆さんから拍手が起こります。
これは夢幻能であるとともに仏教説話でもあります。(神楽って昔から道徳教育の側面も持っていましたから)
とそこへ玉織姫が舞い込んできて、法童丸ともども敦盛の菩提を弔います。
玉織姫は亡き夫の墓に向い、母子の行く末に加護あれと祈るのでした。
最期は親子で御神楽を舞い、共に力を合わせて生きていこうという幕入となっています。
それにしても、栗原栗原さんの演出は観衆を引き込むものがあります。
ビジュアル的にも注目を引く墓石を使ったり、神楽幕をうまく使って場面展開をしたりと工夫が一杯です。
佐藤敬さん、感服いたしました。まだの楽しませでけらいね!
動画でどうぞ。
