夏屋鹿踊 第4回区界高原まつり
そんなわけで、昨日の日曜日に宮古市区界で開催されました第4回区界高原まつりに行ってまいりましたので、その様子から。
何をしにいったかって、それは新そばを食すためです。
いやそうではなくって、川井村の芸能が見たかったからですよ。
そういうことで、今日は夏屋鹿踊(しかおどり)についてです。
夏屋鹿踊について保存会で笛を吹いておられる内舘勝則さんにお話を伺いました。(この方はなんと宮古市議会議員にして、旧川井村の村長さんです。村長しながら鹿踊の笛を吹いて歩いていたと言っておられました)
夏屋鹿踊は伝書(巻物)を保持しており、天文11年(1542年徳川家康生誕の年)から伝承されていている。
保存会は夏屋地区全戸加入で構成しており、そのうち踊り組は13人ほどということです。
構成は胴取りが2人、笛が2人、鹿は太夫ジシ1、脇ジシ2人、コジシ2人、メジシ1人の6人。
毎年、お盆の14日から16日にかけて回向してまわる。
特に16日の送り日には川内の流月院にて19:00頃からお披露目と称して篝火の中で踊るということです。
庭入りのあと、前口上があるのですが、この日は前口上をする方が足の調子が悪いということで省略されました。
何よりも、この方がご高齢なために、次の10月13日に行われる夏屋紅葉まつりでは内舘さんが前口上のデビューとあいなるそうで、張り切っておられました。
ということで、その前口上「いなかひらことば」の文章を書いたメモを見せていただいたので、部分的ではありますが掲載したいと思います。
<田舎平言葉前口上>
「東西 東西 御免
田舎者にござりまする。失礼ながらこれより惣養様へ申し上げまする。
只今しし躍、相勤めまする処は、田舎平言葉長短平うたにて相勤めまする。
そもそもこのしし躍りと申し奉るは、天神七代の神、五代の始め、神代の御時より始まり、神通のお告げにて段々躍りの伝わり始まる。
それ我が朝、開き始め、葦原の国の系図、言語道断、面白き景色なりとて、天の御尊ご覧あそばされ給うて地神第三の御尊高天原に天降らせ給うて鳥類畜類ご寵愛あそばされ給う処、虚空海より男女の鹿四つ躍り出て、東西南北と躍り踏み分けたり。また四ツシシ八つ鹿となり、八つ鹿が十六となり、謳え躍り給えば神も喜び鹿に交わり神諸共に躍り遊び給え。
これ葦原の国のしし躍り始め是なり。その後人皇始め数年にあたらせつかまつり候・・・以下略」
メジシです。
オジシです
太夫ジシです。太夫の頭だけ角の真ん中に月形の飾りがついています。
動画でどうぞ。
