佐沼鹿踊 三人狂い
梅雨の末期に入ったかのような土砂降りの夕方だった。
今週末は七夕を迎え、まさに鹿踊の季節が始まる。
本日はみちのく鹿踊大会から佐沼鹿踊の三人狂いについてです。
佐沼鹿踊の由来は当日のパンフレットより
「大正12年発刊の「登米郡史」によると、現在の宮城県登米市追町と南方町、栗原市瀬峰の一部が佐沼郷と呼ばれていた江戸時代初期に、四組の鹿踊りの組があり、毎年交代で佐沼城(鹿ケ城)に踊りを奉納していたといいます。装束の幕には、津田家の紋所の開き扇と鱗、亘理家の紋所の九曜星があったことから、邑主に許された踊りであつたと推測されます。
昭和初期には姿を消し、長らく幻の郷土芸能となっていたものを、平成7年、あらためて(財)登米文化振興財団が調査に着手。翌年には、同じ流派と思われる宮城県本吉郡志津川町(現南三陸町)の水戸邊鹿子躍保存会の指導を受けて、復興への第一歩を踏み出しました。その時に指導を受けたメンバーで「佐沼鹿踊伝承会」を設立・
会員を募りながら、稽古を重ねてきました。そして平成10年7月、演目のひとつ「二人舞」を市民の前で披露することができました。」
とあります。
装束のうち中立ちと雌鹿のみ華鬘結びが紫色で他は赤、前幕の咽印も両者のみ和違いで他の側鹿は井桁に九曜紋となっている。
幕には佐沼の文字と扇や波に兎等が入り、前袴には波に海老と側鹿が源氏車となっている。
この踊り組のササラが短いため昔は「ゴンボ鹿」と呼ばれていたらしい。いわれは、佐沼の舘に奉納する際に門が低かったためにササラを頭上2尺としたためで、城外で踊る場合のみ6尺のササラをつけて、これを長踊りと称していたということだ。
この日は、長いササラを付けているが、昨年佐沼の夏祭りで羽黒神社に奉納する佐沼鹿踊を見た際は確かに短いゴンボササラをつけて踊っていた。
本来は10人踊りだったのが、水戸部から再度指導を受けて後は8人踊りとなった。
演目は三人舞、二人舞、土佐舞、鹿島舞、海の門中、案山子踊、墓踊、女獅子隠しの8演目がある。
動画でどうぞ。
