東堀越獅子鹿踊
本日はみちのく鹿踊大会から東堀越獅子踊(山形県鶴岡市)についてです。
菊池和博著「シシ踊り」から引用して書きますが、山形県のシシ踊りは地域で大別して置賜地方(三頭)、村山地方(七頭)、最上地方(七頭)、庄内地方(五頭)と藩政時代の領地毎に傾向の違いが見られるという。(所により五・六・七頭が混在する)
その内、庄内地方の藤島地区はかつてシシ郷と呼ばれるほど鹿踊がさかんに行われ、庄内では現在も十六団体が活動している。
踊りの時期と場は、盆の施餓鬼供養が中心で踊りはじめの「精入れ」と、踊り納めの「精抜き」を厳格に行い、神仏の使いとしての鹿踊を踊りの時期以外は呪的な存在から解き放つ掟としている。
この東堀越獅子踊は毎年6月ごろから練習を始め、8月18日の新山神社に奉納することを主目的としているそうだ。
由来について当日のパンフレットより掲載します。
「神官、松田氏所蔵の記録によれば、源頼朝が東北平定に際し新山神社を戦勝祈願所として創立、建久五年(西暦一一九四年、約八百年前)七月十八日に獅子舞を添えて遷宮式を執行したと言われています。以来、新山神社の祭礼に家内安全、無病息災、五穀豊穣、諸業繁栄を祈願し、奉納されています。
獅子踊りは舞人五人、ささら二人、太刀使い一人、棒使い二人、槍持ち二人、歌人七人で構成されています。
獅子は、中獅子(中心)、旗獅子(中獅子前方右)、白鷺(中獅子後方左)、牡獅子(中獅子後方右)、牝獅子(中獅子前方左)の五頭からなり、中獅子が中心となって演じられます。もともと獅子は人間に禍をもたらすもの、あるいは、田畑を荒らすものでありました。しかし、反面このような獅子は悪霊を鎮める威力を持つている、と昔の人々は信じていました。ここで獅子は、神として祀つてくれるならば、心改め、禍をなす悪霊などの鎮め役となり人々に幸福をもたらし、農耕の守り神となること、を誓うことになります。」
装束は全員が前身を覆うかのような大きな幕をまといます。模様は川の流れに水車、千鳥や舞鶴、三つ巴、桔梗、鱗などなど多彩である。
また、頭の後方には瓢箪を下げているが、これは古来より魂の入れ物で霊性を表すとのこと。
遠野地方の鹿踊に種フクベというリーダー役がいるが、これも瓢箪が重要な意味合いを持っている。
頭は二本の角が大きく弧を描いて頂点で紐で結んであり、さらに頭頂部に鍬形と前立の飾りがついている。
このへんは中部日本以西の太鼓踊系の冠り物との派生が感じられます。
幕の中に弓型の幕抑えと太鼓が結わえ付けてあり、太撥で太鼓を叩いております。
演目というものはなく、全部を通しでやると2時間ぐらいかかるそうです。
東堀越の方に聞いた所によるとこの日の演技内容は制限時間に合わせた「菖蒲祭りバージョン」なそうです。
ともかく、くねりという庭入りの踊りで始まり、太刀使いと棒使いによる責めと、ササラ二人が入る中入羽をはさんで、遊び獅子という踊りが全体を通して踊られているようでした。
非常に力強い踊りで、昨年の祭りでは角を折るほど激しく踊ったということでした。
この組のささらは少年二人でしたが、山形の他の地方の鹿踊ではヤマと称する四人が踊りの庭の四隅に立つ形式が多い。
また、東堀越の大きな特徴として、中獅子が太刀を持って踊る場面があることです。
普通太刀踊りは太刀使い(遠野では刀掛けと称している)が獅子を鎮撫する踊りとしてあるが、ここでは獅子自身が太刀を持って踊るということは獅子が鎮護祈祷をするということなのか。
昨年もそうだったが山形の獅子踊りも実に興味深い。また、見に行きたくなったな。
動画でどうぞ。
