長清水山伏神楽 神上げ・権現舞 @第19回大乗神楽大会
本日は長清水山伏神楽さんの神上げ・権現舞について
その前に、長清水山伏神楽さんの由来について当日のパンフレットより
「弘化2年(1845)に江釣子村大坊の法印、月光院から高橋弥惣治が伝授されていたとされ、現在で9代目の継承者となります。
月光院は、滑田の長根地区に所在する八坂神社の前身で、明治初年に修験道が廃止されるまで、江釣子村の荒屋地区にあつた大坊という天台寺院でした。
これに関する資料として、大坊十文字には明治6年の「月光院宥道法印碑」が建立されています。かつては山伏神楽の全演目が伝承され演じられていましたが、現在では権現舞のほか幕もの一番が伝承されています。」
とのことで、現在の代表者は高橋文夫さんです。
さて、大乗神楽では舞のはじめに神降ろしの祈祷を行い、最後には権現舞で納める前に神上げの奉送儀礼があります。
大乗神楽の演目は三十三番といわれ、その最後が権現舞である。
ところで通常行われる権現舞とは異なる舞に「伏獅子」というものがある。
これは下舞は同じだが、獅子幕をかぶった後で、幕を大きく広げるために幕内に人が3~4人入って演じ、別当役が獅子の口に刀等を飲み込ませる。
獅子は飲み込んだものを体内で祓い清めた後に再び口から吐き出すという浄化蘇生の験力を示す。また、観客はこれを承知していて自分の持ち物から祓い清めたいものを別当役に託す。
この儀式は秋田県の番楽における獅子舞にはよく見られることだが、加持祈祷の一種とみている。
下舞で、数珠を取って舞うのも大乗神楽の特徴です。
権現様の頭のてっぺんがザイを被ったように河童状になっているのも大乗神楽の特徴です。
権現頭というと頭に角があるものもありますが、大乗神楽では仏教色が濃いだけに丸めているのでしょうか。
大乗神楽団体の多くがその伝来を宮城県涌谷町の箟岳山箟峰寺からとしているが、肝心の箟峰寺には神楽岡という地名が残るのみで現在は神楽の伝承が無いばかりか、かつてあったという形跡もない。
明治維新の際に変節があったのではとおもわせられるが、現在は小正月の白山神社の例祭に修験道の痕跡をのこしているのみである。いつかまた探求してみたい。
動画でどうぞ。
