村崎野大乗神楽 帝童 @第19回大乗神楽大会
本日は村崎野大乗神楽さんの帝童について
その前に、村崎野大乗神楽さんの由来について当日のパンフレットより
「元禄2年(1689)に当地に天照御祖神社を建立した妙法院が始めた“和賀山伏神楽"が始まりと伝えられています。後に官城県遠田郡涌谷の箆岳箆峰寺の修験者の影響を受け、嘉永2年(1849)には南笹間の万法院を会場に第1回の大乗会が開かれ、その3年後に大乗仏教をもとにした加持祈祷神楽であることから改編し、“大乗神楽"と改称。
明治30年に旧二子村下宿の人幡宮宮司千田行全に舞を伝授し、大正11年には、2代舘脇法全が二子上宿の秋葉山大権現小原法覚や更木に伝授したと伝えられています。
昭和59年4月に準域の協力と援助によつて“村崎野大乗神楽保存会"が結成されるとともに幕舞を復興し、現在に至つています。全33演目中半数以上の演目を所持。」
とあります。現在の代表者は中野善一さんです。
つまり村崎野大乗神楽さんは伊勢神社付きの神楽ということになります。
演目の帝童ですが、本地を竜女(師子音仏)としていますが、大乗神楽で唯一の女舞であることから、形態的に山伏神楽の執念物(機織り、鐘巻等)を凝縮した演目なのだと想います。
だから追っかけ帝童も狂奔した女御を折伏する山伏の仮諦として描かれているのではと想います。
この帝童は大乗神楽にだけある特異な演目なので所作自体が祈祷舞の手次を残しています
これは印を結んでいるのですが、その舞の手次の模様から「鏡見ろ見ろ」と呼ばれています。
舞手の手次足踏みを舞手に説明するかのような胴唱歌は法印神楽の特色ですがそれを踏襲しています。
この部分での唱歌は
「エンヤラ 鏡みろみろ 鏡をみれば 品が猶勝る 面白し こほぜい」
そして帝童に特徴的な所作として「耳かき」がある。
これは、片手の錫杖だけを頭側面でくるくるまわす「片耳かき」と、両手に扇と錫杖を持って両手で頭側面で回す「両耳かき」とがある。
そして、帝童が扇をくるくると回す車扇の所作に入ると幕後ろから追っかけの道化が出てきて帝童の真似を舞う。
これを「追っかけ」と呼んでいる。
帝童が幕後ろに逃げた後に一人残された道化は胴取りと軽妙な掛け合いを演じる。
最初は「アネコ出せ」と言っていたが、しまいには踊りの上手下手の話になっていく。
道化の面白おかしいやり取りの後、子孫繁栄・五穀豊穣の予祝のような所作をした後に追っかけが幕に入って終わる。
動画でどうぞ。
