和賀大乗神楽保存会 荒神 @第19回大乗神楽大会
本日は和賀大乗神楽さんの荒神について
その前に、和賀大乗神楽さんの由来について当日のパンフレットより
「口伝では、約六百年前の正和4年(1315)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験を修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。
後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848)に至つて宮城県遠田部湧谷箆岳の箆岳金峰寺(天台修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年に南笹間の万法院を会場に大乗会を開催。三年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称した。
その後一時中断しますが、慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の再興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当万法院に師事し再興しました。」
とあります。現在の代表者は鈴木俊逸さんです。
さて、演目の荒神ですが法印神楽の方では廃曲として今は演じていないものの型本に残っている所では祈祷舞として伝えられ、牡鹿の方ではかまど祭りとして舞われたとある。
幕出しから赤面に三つ目の凄まじい形相で登場する。
この面は三面大黒天として本地を普賢菩薩に比定されている、さらに後腰に幣束を四本立てて四明印他を切る。
次に舞台の四方に据えた大根を柱にして一本づつ幣束を立てていく。
順序は巳寅、未申、辰巳、戌亥そして中に入り定印を切る
次いで、太鼓の調子が後生楽に変わり、幣束を順に戌亥、辰巳、未申、巳寅と取り、四本の弊を蜘蛛手に組んで四方に祈祷する。
最後に幣束を幕の方へ飛ばして、拍手を打ち呪言を唱えて終わる。
動画でどうぞ。
