二子築館神楽 七ツ釜 @第19回大乗神楽大会
本日は二子築館神楽さんの七五三切について
その前に、二子築館神楽さんの由来について当日のパンフレットより
「和賀山伏神楽大福院(現新山神社)の系譜を汲む更木船渡神楽が前身とされます。
船渡神楽の庭元佐藤新作のとき、旧二子村上宿の千田和作の世話で千田行全法院(元二子八幡神社宮司)から教えを受け、昭和29年ころには、斎藤幸全(上宿和賀神楽庭元の曾祖父)から再度教えを受けました。昭和41年、北上川河川工事に伴う堤防建設により、更木船渡集落の一部が移転することとなり二子町築舘集落に19戸が移住しました。それによって神楽伝承者も分割され、太鼓のみ伝授して分流することになりました。
その後、八重樫亀蔵及び佐藤房雄、斎藤重蔵の3氏から権現頭一頭が勧請されて「築舘神楽」が発足することとなり、改めて同系統の宿大乗神楽に師事し、下舞と権現舞を習得します。
昭和50年瑶全法院千田貞三から藤巻新吉ほか9名にあてて山伏権現舞の得度証が伝授されて正式に築舘神楽の発足に至りました。現在では、幕演目の習得に努め、今回は“七五三切"と“棟上"を披露します。」
とあります。現在の代表者は藤巻勝八さんです。
さて、演目の七五三切ですが、山伏神楽ではその日の演目の最期に舞って、神楽舞台の四方に廻した注連縄を切り落とす所作の入るものですが、大乗神楽では十番目ぐらいに三人舞で行う荒舞となっている。
七五三切舞の三神とは歳殺神・黄幡神・豹尾神で本地は千手観音・胎蔵界大日・金剛界大日で天岩戸の前に張った注連縄を切り落とす舞ということだ。
ここにいう本地は仏教の仏様ではなく、陰陽道に語れれるもののようで、大威徳明王・羅睺・三宝荒神と比定されている。
幕出しからクネリとなり、後生楽で刀潜りとなる。
御神楽になって四方切りの後一人だけ残ってチラシとなる。このへんは法印神楽の順序通りである。
最後に「散らし」を振るわけだが、やはり大乗神楽でもここが一番の見せ所となっている。
動画でどうぞ。
