北下幅神楽 五大領
さて、本日は北下幅神楽さんの五大領についてですが、その前に北下幅神楽発祥の地についてちょっとふれます。
奥州市水沢区の西方の佐倉河の高山周辺は、南部神楽の演目にもある高山掃部長者の屋敷跡といわれている。
その中に高山稲荷神社があり、その西側に「心月庵」と称する小さな建物があるが、これは北下幅神楽創始者の千葉源五郎の屋敷内にあったもので「修験道場」と呼ばれていたものを移築したということだ。
千葉源五郎は明治初年の修験道廃止以前から神楽を習得していたということなので、修験の一端を担っていたものと想像できる。その道場にはオシラ様の他に二体の仏像が祀られていたということだ。
さて、五大領ですが、北下幅神楽では式舞の四番目に入っており、農村地帯であるがゆえに農事の時期をはかる土用の由来を大切にしてこられたのがよくわかる。
天八十萬玉命が春夏秋冬の神に自分にも領分をくれと頼むが断られ、
やむなく装束をあらため神戦となる。
そこへ、天御中主尊が現れ、土用を決めてめでたしいとなります。
最後は直面でのクズシ舞です。
動画でどうぞ。
