嵯峨立神楽 翁舞 @岩手県南宮城県北選抜神楽 花泉大会
今日から風薫る皐月・・・といいたいところだが、雨は降るし寒いし! なんとかなりませんかこの天気。
という訳ですが、選抜神楽花泉大会から本日は嵯峨立神楽さんの翁舞です。
由来についてはつぎのとおり
「嵯峨立神楽」は、「修験道賀多羽流」と称し弘化年間(1844~ 48)嵯峨立普慶院第二十四世佛心得宗大和尚により伝承されたと言われていますが、中田町上沼八幡山にある「上沼加茂流法印神楽」の由来書には、江戸時代中期、中田町内にある六ヶ院の法印たちにより神楽を執行し、文化・文政の頃には、東和町錦織や嵯峨立の法印も加わり十三ヶ院で神楽を演じていたとの記述があり、現存する古い神楽本には上沼や浅部の法印神楽と同じ演目が残されています。
明治初年、神仏分離令により修験宗が解体され、法印神楽の継続が困難となり、明治初期に当時流行していた南部神楽を取り入れ変容したものと思われます。
他の南部神楽では決して演じることのない法印神楽のみに伝わる「笹結び」や「宇賀玉」などの演日が「嵯峨立神楽」には伝承されており、法印神楽の芸風を色濃く残したきわめて貴重な南部神楽となっています。
ということです。
神楽研究書での”系統”ということで笹谷流となっていますが、それは明治以降のことで、藩制以前は流神楽(法印神楽)であった訳で、その演目、舞の手を今日まで色濃く残していることが特徴です。
それで、式舞の翁です。
もとより、翁舞は山伏神楽から取り入れた演目であるが、流れ神楽にもとからあったものではないと思われるので、南部神楽に移行してからの伝承となる。
しかし、舞の内容は山伏神楽においてのものとは異なるが、舞の途中での言い立て(舎文)は似通う部分がある。
冒頭の部分は「さて天竺の松代川の生ける亀、甲に二千歳山とうの星の山を戴いて・・・」である、その後はことなっているが、延命を願い長寿を寿ぐ内容になっている。
手次(所作)においては法印神楽の影響が見られるのが興味深い点です。
動画でどうぞ。
