白浜神楽 御神楽
という訳で、連休のさなかで、初めて良い天気に恵まれた本日は、第31回岩手県南宮城県北選抜神楽花泉大会に出かけました。
今回はかねてより、従来のコンテスト形式を排除して、神楽本来の姿を取り戻そうということで、式舞神舞中心で時間制限なしということで取り組まれたようです。
このことには白浜神楽の会長さんの並々ならぬ思い入れがあったためと思います。
トップバッターはその白浜神楽さんの御神楽からです。
舞台は昨年までと違って、昔に農家の庭先に神楽舞台を設えた形式をそのままに再現し、天上には吊るしの大蛇がつけられています。
何はともあれ、今回の大会の開会の辞に、布佐神楽が岩手県指定の無形民俗文化財になるということで、南部神楽が社会的に認知されたという話がされました。
南部神楽の劇舞は華であるがその根底にある祈祷舞神舞を原点として継承することが大事だという認識で今回のプログラム編成がなされたようです。
それはそれで正しいことだと思います。
しかし、大正期から昭和の戦後間もないころまで、農村部の娯楽を一手に引き受けてきた神楽団にとっては神事の神楽だけをやっていれば良いと言う時代ではなかったのです。
明治以降は地方でも様々な芸能娯楽が発達し、祭文・浄瑠璃・地芝居・人形芝居そして新派青年劇の勃興という激変の時代にあって神楽もまた大衆に迎合をせざるを得なくなり、浄瑠璃本の人情劇を取り入れ、平泉ゆかりの源平ものを再編し、より受ける芸能へと変遷せざるを得なかったのであります。
そして、現在は急激な西欧文化の浸透に疑問を呈する人が増え、再び日本文化とは何かを問いただす動きがおこりはじめました。
南部神楽もそのような潮流の中にあって、今一度明治初年の頃に立ち戻り、本来の姿を取り戻そうという動きになってきたのだと思います。
取りも直さず今後の南部神楽の動静に注視してください。
そのためにも私は情報の拡散を続けたいと思います。(といっても、未だに南部神楽の定義がわからない。そもそも南部神楽という命名自体が間違っていたのではないのか)
動画でどうぞ。
