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2013.04.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

狼ヶ志田神楽 五條の橋 千人斬り 

さて今日は延年閣での南部神楽公演から狼ヶ志田神楽さんの五條の橋について。

狼ヶ志田神楽の伝承経過については「胆江地方の神楽 創立十周年記念誌」の記述からすると幾度かの変容があったことが見て取れる。
その経過を箇条書きにすると

1 文久元年正月 菅原甚太郎が同村の中沢神楽より羽黒系山伏神楽を伝承
2 年代不詳 陸前浜神楽を習得し、中沢神楽へ伝えた
3 明治25年11月 菅原甚太郎の呼びかけで、一関の達古袋神楽から三輪流神楽を伝承

とあります。

胆沢の神楽団体の多くは、このように江戸期後半に山伏神楽を伝承し、その後明治中頃に一関地方の神楽(三輪流、笹谷流等)に転換して現在のような形になっているようです。

1の山伏修験について、江戸期の胆沢地方の多くは良覚院配下の羽黒派修験が多かった。その理由として胆沢の群主である柏山氏が出羽三山を深く信仰していたことによる。
小山の修験を列記すると、笹森の吉祥院と善光院、中倉の円信坊、加藤の真誠院とがありいづれも羽黒派である。
(桜田に唯一当山派の養寿院がある)
このことより羽黒系山伏神楽と推定されているものと思います。

2の陸前浜の法印神楽を伝承した経過は、狼ヶ志田神楽の伝承記録が二代目の時に焼失して残っていないが、同村に伝えた十文字神楽に「本吉流神楽記総目録」が残っており、そこに記された神楽演目は正に法印神楽そのものである。(初矢、両天、吾児、道祖、注連切、普照・・・・)
今も狼ヶ志田神楽の荒方の舞い方には法印神楽の責(荒方)の型が残っている感じがする。

3の一関地方からもたらされたのは、より華やかな舞と仕組、セリフ回しのことであろうと思われる。

実際はもっと複雑な経過をたどったと思われるが、今の形は現存するものとして大切に伝承されていくものとおもいます。

弁慶さん



牛若丸さん

DSC08860.jpg

牛若丸の薙刀乗り

DSC08871.jpg



動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2013.04.22 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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