嵯峨立神楽 神送り
さて、本日は東北歴史博物館での南部神楽上演会のトリをかざる嵯峨立神楽さんの神送りについて
舞手は日頃懇意にしていただいている若手の岩渕さん。
南部神楽では古くは神迎え神送りをしていたようなのですが、しばらくは省略されていた。
最近は往古に帰って神楽に先立ち直面で祈祷した後に翁面をつけて神迎えをする神楽組もある。
ここで少し話がそれるが神迎え神送りの意義について、「マチゲキ神楽本(2004.11 仙台市民文化財団 著作)」の中で山折哲雄氏が「日本において神楽とは何か」について書いた一文から引用する。
「古代神道、あるいは、原始神道というものにおける神祭りというのは、山の中に入っていって、松やその他の木枝などを伐りとって里や村に持ち帰り、道の傍らにその本の枝を置いて立てるんです。
すると、そこに神が寄りつくわけですね。そして、寄りついてきた山の神、海の神、そのほか様々な神々を、呪文を唱えたり、願い事をしたり、お供え物をしたりして、例えば一昼夜なりお祭りをして、終わればまた神々にお帰りを願う。
そして、後に残された祭器、つまりその松等々の木の枝、器などは全部焼き捨ててしまう。これが普通の神祭りの形式だったというのが定説です。そのお宿りになる期間が終わると祭器を撤去して、神々はもとの自然の中にお帰りになる、この関係が非常に大事だと思います」
と、つまり祭りの場にはもともと神は存在しないわけで、必要があるためにそこに神を招き降ろして祈願なり感謝なりして後はお帰りいただくという考え方。それが神迎えであり神送りなのだと。
そして神楽もまたその形式を踏襲していのだろうと思える。
直面の者が舞台に出て祭文を唱える(内容は天地一切清浄祓に似ている)
「天清浄 地清浄 六根清浄をもって 清めたまえ 祓いたまえと申す
今日のこの所に集まりし 御神は 1744代の御神なり
御堂のおうのへすい所には 幡を立て
おんとうのおうの庭中には 羽廣の薄を立て
天竺の玉の川原の御神邸(ごこうてい)登らせたまへで 帰らせ給もう
よねつぐつぐと つぎたつ雲の~」
※続いて胴取りが太鼓唱歌で応唱する
雲の裏から~雲の裏よと~
格調高い神諷と胴取の応酬があって祓いの舞になる
ところで、同じ流神楽の浅部法印神楽にも神送りの歌というのがあります。「陸前浜の法印神楽」より
「神道は 千道百道道七つ 中なる道は神の通路
神送る 高座の山も晴れにける 急ぎ帰らせ 四方の神々」
一方で、山伏神楽の中でも晴山神楽では権現舞のあとで「神送り」の儀礼を行うことになっている。
また、盛岡に近い八ツ口神楽では演目が全部終わり身がためが済むと「舞板ならし」と称して紋服を着たものが扇と散米を捧げながら次の謡で舞う。
「やら面白や面白や・・・神の数は一千七百二十の垂迹 誠に堂の前に立って在します 仏の数は十万八千七百十の垂迹 誠に堂の前に立って在します ・・・」
動画でどうぞ。
