大原神楽 一の谷
いや~寒いですねぇ。いつまで続くんでしょうかって、春になるまでと決まってます。
というわけで、大原神楽さんの一の谷について、
大原神楽さんの由来は定本から
「西磐井郡厳美村山谷入道の佐藤辛氏が衣川村大原に入婿し高橋姓を名乗る。
高橋辛は三輪流山谷神楽の舞人であったので、高橋寿七が庭元となり高橋辛師匠の指導で大正一○年大原神楽を創設した。
戦前、戦後中断していたが、昭和四二年高橋辛、小坂盛雄両師匠の指導で現在の大原神楽が復活した。
初代庭元高橋寿七、二代高橋正名、佐藤光男は三代目である。」
とありますが、現代の代表は高橋末夫さんです。
さて、場面は一の谷の敗戦で八嶋へ逃れる平家方の若武者敦盛が愛用の青葉の笛を忘れて取りに戻ったがために、源氏方の熊谷次郎直実に呼び止められるというところです。
敦盛さんの登場ですが、幕の方を向いてキメです。遠くを見晴らす表現になっているようです。
直実はついに敦盛を取り押さえるが、息子の顔によく似ていると仏心をおこして逃そうとするが、ライバル平山武者にみつかり咎められ、泣く泣く首を取ると言う場面です。
話は変わりますが、室町期に流行した芸能に幸若舞があり、源氏の末流の桃井直詮(幼名幸若丸)が発祥と言われています。武士層にもてはやされたため源平物や曽我物という武士の華やかにしてかつ哀しい物語を主題にしたものが多かったようです。
その演目のひとつに「敦盛」があり源平共に栄枯盛衰のはかなさを物語るのですが、その歌詞の一節が後の世に有名な場面で歌われます。
歌ったのは織田信長で、場所は本能寺の燃え盛る炎の中、
「人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか。」
動画でどうぞ。
