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2013.02.06 | Comments(6) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

川北神楽 継信忠信訪ねの場

今日はソロモン諸島沖で津波を伴うマグニチュード8.0の地震が起こり津波も発生したとのこと。たとえ数センチの潮位でも不安に思っているだろうと沿岸部の皆さんの心中を思い致すばかりです。
三陸沿岸ではまだ津波注意報が解除されておりません。無事を祈るばかりです。


さて、今日は栗原市一迫町の川北神楽さんの八嶋合戦 継信忠信訪ねの場について

その前に、川北神楽さんの由来について定本より

「明治初期、初代庭元佐藤福男が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の佐藤春吉師匠を招き、部落の若者達に神楽の指導を行い、川北神楽を創設した。大正初期、一迫町長崎高橋長右エ門師匠の指導を得、現在まで
休むこともなく継続されて来た。
初代庭元佐藤福男より現在の庭元阿部三千男まで六代目である。」

とあります。

さて、八嶋合戦の中から継信忠信の段である。
お馴染みといえるほどの人気のある演目で、義経の華々しい活躍の陰で散りゆく武士の愁嘆を切々と謳い上げる名場面である。

義経さん



義経の腹臣である佐藤庄司の息子の継信忠信の八嶋合戦でのこと。
激戦の中、兄継信は敵将の平家の能登守教経が放った矢から義経を守り、身代わりとなって重傷を負う。
味方の陣に兄の姿が見えないことに気づいた弟忠信は夕暮れの波打ち際に兄の姿を探して彷徨う。
兄を訪ねて声を張り上げると遠くに微かな声がする。
刀を杖代わりに波間を探ってゆくと兄の横たわる姿を見つけ、深手を負った姿に驚嘆する。

DSC05783.jpg

で、「一の矢、二の矢は容易に防げても、三の矢、管矢にはくれぐれも注意めされよと父上にも言われたではないか」と兄に詰め寄るが方もなし。
泣く泣く兄を背負うて主君義経の待つ高松城へと引き返してゆく。
後には夕波に吹き渡る風と千鳥の啼く声が聞こえるばかりなり。

川北神楽さん、うまいっ!金田の初舞での茶目っ気ばかりではながんすね!

DSC05789_20130206204907.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2013.02.06 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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