栗原神楽 五穀舞
不覚にも昨日はブログも書かずに寝てしまった。仕方ない立春であるので春眠暁を覚えずとか。(言い訳にもなっていないが)
ということで昨日は栗原市の尾松地区神楽鑑賞会に出かけたので、今週はそのリポートとなります。南部神楽ウィークです。
で、神楽の最初は栗原神楽さんの五穀舞です。ずっと見たいと思っておりました。
その前に、栗原神楽の由来は「南部神楽系譜調查報告書」より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出をし承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野有の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。
初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」
さて、五穀舞というと山伏系神楽、ことにも早池峰神楽では人気の演目で天の熊人五穀と女(天照)五穀とがあり、内容は天照が月読に五穀の種を探してこよと命令するが、保食神が口や尻から食べ物をだすことを嫌って殺してしまう。その後に熊人が保食神の体から食物の種を持ち帰って天照に捧げたというストーリーです。
これが、南部神楽にもあるということ自体が驚きです、というよりよくぞ残してくれました。
陸前浜の法印神楽にも保食や宇賀玉という演目で同様の食料発生譚を物語る演目があるので、こちらからの伝承ということもあります。
最初の出だしは、天照、月読、素戔嗚尊の三人が並び、天照が稲の豊作を願って佳き種を播けと召使を呼び寄せるシーンから始まります。

召使が登場ですが、これが何と道化です。こうくるかって感じです。
山伏神楽なら天の熊人が猛々しく登場なのですが、ここは南部神楽の面目躍如と言った感じです。
道化ながら腰を落とした荒方の舞いですから。

そして、この後は座敷田植の要領で、田起こし・種まき・稲刈りと田事を進めていきます。
種まきでは、笊から飴っこを客席に撒くといった大サービスもあります。さすが気が利くね!

秋になっての収穫は米俵を積んで、「五穀豊穣」の扇を掲げて祝います。

そして、稔の祝宴として撥車が華を添えます。
見事です。
この後、素戔嗚尊の荒方舞が力強く行われます。神歌はもちろん「今年ゃ豊年萬作だ~」です。うまくはまってますね~。

最後は四人でのクズシ舞となりますが、この御神楽はさしずめ五穀御神楽とでもいうような感じです。
召使がトップに立ちますので、農民が神々を導いている感じがします。
いゃー本当に見れてよかった。感動した。
栗原神楽さんありがとうございます。

ちなみにこの演目、他の団体ではあまり見かけないがどうなのだろう。
かつて大門神楽には作耕舞というのがあったと聞く。白浜神楽が大門神楽の演目を継承したが、この作耕舞だけはまだ習得していないということでしたが。白浜神楽の良夫師匠どうなりましたか?
動画でどうぞ。
