鬼柳神楽 山の神
さて、今日の話題はちょっと戻って昨年の12月に行われました鬼柳地区芸能フェスティバルの中から、旧南部領の南部神楽という稀有なものについて。
鬼柳神楽さんの山の神である。
鬼柳神楽さんの由来について、手元に資料がないので当日のプログラムから抜粋
鬼柳神楽は、明治38年(1905年)川原田観音(笊渕)の別当であった佐藤平左エ門が、磐井系の神楽師から学び川原田神楽として始められたと伝えられています。
とあります、すみません後日詳細を調べます。
それにしても、明治38年とは南部神楽が旧鬼柳村へ伝承したとすると結構早い時期となる。
「磐井系」がどこを指しているのか不明だが、舞型からすると黒沢系だろうとおもうが、鬼柳周辺の伊達領内の南部神楽だと金ケ崎の穴持か北方だったのか、となると瀬台野系という線もあるが。

出掛かりには、「サンヤー山の神」の歌がかかります。
白の単に錦の袴、山の神の赤面という出で立ちは法印神楽ですね。
きっちりと印を結んでいます。

扇を手前に返して爪米を散供します。
法印神楽と大乗神楽が渦巻いているような、南部神楽の元々の姿を残しているともいえる山の神です。

面を外しての太刀御神楽です。
陸前高田の生出神楽といい、南部領の鬼柳あるいは岩崎の神楽といい、南部神楽(この呼び方も変だが)が段物(劇)を取り入れる前の姿をよく残している。もっと取り上げられても良いのではないか。

そして、今度の日曜日には金成の延年閣で南部神楽協議会の面々が初舞を行う。
久々に南部神楽にどっぷりと浸かろうかと思います。
動画でどうぞ。
