fc2ブログ
2013.01.02 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

滑田鬼剣舞 狐剣舞

正月2日めは昨年12月23日に開催された「鬼柳鬼剣舞発創70周年記念式典・鬼柳地区芸能フェスティバル」から続きで演目紹介といきます。
で、本日は滑田鬼剣舞さんの狐剣舞!

滑田鬼剣舞さんの由来についてはオフィシャルページ「滑田鬼剣舞のページ」
から引用させていただきました。

明治31年に地区民の総意により部落活性化を図る目的をもって、和賀郡岩崎村に伝わる岩崎念仏剣舞に教えを請い、稽古に励みこの年を発創の年と定める。
明治34年に18演目を修得し、巻軸三巻の伝授を受け、滑田鬼剣舞として発足し、供養碑建立する。
平静年に国の重要無形民俗文化財の指定を受ける。



とあります。

演目の狐剣舞は滑田系にのみ伝承されている演目で、なぜか岩崎系にはありません。

出掛かりの部分は非常に独特で、荘厳かつ妖気漂う感じがします。
個人的には川西大念仏剣舞のオッコミによく似ていると思います。関連性があるのでしょうか。



この狐剣舞には伝説があるそうです。澤田定三著「岩手の郷土芸能」から抜粋します。

伝説とは、この剣舞の掟として、踊り初めの笠揃いと踊り納めの二回は、土地の稲荷神社に奉納参拝することになっていた。ある年の踊り納めの時のこと、その日は朝からどんよりと曇った秋錆びた日で、夕方からみぞれ混じりの小雨さえ降りだした寒い日であった。
稲荷様に供えたお神酒を供物の肴で、直会の祝い酒を酌み、やがて礼舞の庭造りに入るや、一人の踊り子が俄に腹痛を訴えたので、社殿の傍らに休ませ、一人欠員の七人で踊りが継続された。
暮れ早き晩秋で暗い境内の中は二つ三つの提灯のみで、辛うじて踊りが見られると言う程度の明るさである。
踊りも半ばを過ぎた頃、太鼓打ちがふと見ると、定員の八人になって踊っているではないか。腹が痛いといった者がよくなって踊っているものと思いながら気にも留めずにみていると不思議にも一番後方の一人がどうもおかしい。面が全く見えない。それに足が飛んだり、もつれたり、前のめりになったりして体の中心がとれない。腰の落ち着きもない。

DSC02869.jpg

やがて踊りが終わって全員片膝つきの礼の頭を下げ、立ち上がった人員はやっぱり七人であった。
社殿に蹲っていた踊り子はずっと横になっていたということだ。
それから一同がそのことを話し合って慄然とした。師匠はおもむろにこれはきっと稲荷様の恵みであるといった。
稲荷明神が使いの狐の化身としてつかわし、恒例の納の参拝に一人の欠員があってはならぬとして踊らせたのであろう。
そういう訳で、稲荷様の加護の神秘的なものに感激した剣舞の連中は、この恵みを象徴して一つの踊型を仕組んだのが、この狐剣舞であるという伝説である。

DSC02887_20130102163222.jpg

この演目は最後の稽古ものとされているそうである。最後の奥許しということです。

DSC02905.jpg


動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2013.01.02 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

12 | 2013/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ