御免町鬼剣舞 三番庭の狂い
今日の道路もツルッツル 明日の朝はどうなるのか。
高速道路では連日スリップ事故で通行止め、なので国道は大渋滞だ、ちょっとウンザリしてきた。
さて、そんな気分を吹き飛ばし、今日は御免町鬼剣舞さんの「三番庭の狂い」について
御免町鬼剣舞さんの由来は、「御免町鬼剣舞オフィシャルページ」から引用です。(http://gomenmachi.d2.r-cms.jp/)
御免町鬼剣舞は明治25(1892)年頃から和賀群岩崎村の岩崎鬼剣舞より指導を受け、明治30(1897)年に秘伝書を伝授された。この際、御免町鬼剣舞から岩崎鬼剣舞へ提出した誓約書の中で鬼剣舞という名称が初めて用いられ、以後「鬼剣舞」と呼ばれるようになった。
大正2(1913)年に北鬼柳鬼剣舞へ秘伝書を伝授、大正12(1923)年に長沼鬼剣舞を指導するなど、近隣地区へ鬼剣舞の普及を行った。
8代目踊り組の頃(昭和20年代後半から40年代中頃)表立った活動を控えていたが、昭和45(1970)年に岩手国体の開会セレモニーへ参加。これを機に9代目踊り組を結成する。同じ頃、旧江釣子村行政区が改正され別行政区であった御免町、川内家、大坊が江釣子8区とされた事により行政区内の横の繋がりが密になりだし現在に至る。
ということです。

踊りの内容は、振り込みや早念仏、せんや念仏はなく、4人ないし2人1組の組踊のような形で進む。
扇の舞と素手の舞があり、軽快に跳躍する所作が続き、明るく華やかな印象を受ける。

扇を閉じて金剛杖と一緒に握って振りながら踊る所作や左足で跳ねる所作は他の芸能(田植踊り、念仏剣舞)との共通性が見いだせたりして興味深い。

動画でどうぞ。
