鍋倉鹿踊 一番庭 露喰み
本日は何故か冬至である。
通常の年であれば12月22日が冬至なのだが今年は閏年の暦の影響で21日が冬至となった。
冬至とはそもそも、一年のうちで最も太陽の活動が衰える時と信じられ、岩戸入りの神事ではないが心許ない心地になる時期である。だが、明日からは日一日と朝日の昇る時刻が早くなる。
そこで昔の人は弱った太陽が再び力強く登ることを祈念して一陽来福の願いを込めて冬至祭を行ったと思われる。
さて、本日は鍋倉鹿踊さんの一番庭と露喰みについて書きます。
由来については
明治の初期、東和町落合の春日流鹿踊が湯本に伝えられ、明治38年(1905)8月8日春日神社例大祭に「春日様の鹿」として初舞されました。
昭和30年(1955)に上湯本鹿踊庭元から秘伝書を伝授されています。
とのこと。

鹿頭はやや金津に似て角拵えも横に貼りだしている。
前幕の咽印は井桁に九曜紋で、横の紋は雲紋に波濤が染め抜いてある。
また、袴は水車紋に八重垣の二線が入り、オグチは鹿に紅葉である。

続く二番目の演目は「露喰み」である。通常は三尺ぐらいの柱に笹竹を結わえて踊り場正面に掲げるのであるが、この日は青少年郷土芸能フェスティバルということか、少年が笹を奉持して現れた。

中立を主とした鹿達が、朝露を含んだ笹の葉に群れる様を現した踊りである。
ここは、鹿の獣性を細やかに表した珠玉の一幕となっている。
同じ鹿踊りでも、春日信仰の片鱗を感じる一幕ではある。古来、鹿は神の使いであったのだから。

動画でどうぞ。
