村所神楽_地割
本日は遠野市郷土芸能共演会からゲスト出演の村所神楽さんについて紹介します。
村所神楽の由来については当日のパンフレットのより
村所神楽は宮崎県西米良村村所にある村所八幡神社に伝わる神楽である。村所八幡神社は南北朝時代、、米良に足跡を残した後醍醐天皇の皇子・懐親親王が主祭神として祀る大王様として祀る。
懐親親王は後醍醐天皇が足利尊氏に敗れた後、再興を期し西征の宮として九州へと派遣された。親王は肥後の豪族菊池氏の支援により一時は九州を平定するが足利幕府が派遣した九州探題に敗れて菊池一族とともに米良へ入山したと伝えられる。
とある。

また、解説には
村所八幡神社には懐親親王の子・良宗王、米良の領主・米良重鑑等も合祀され、村所神楽には「大王様」をはじめとして「爺様」「八幡様」などが次々と登場する。
初めの「神楽ばやし」は、「民かぐら」に入ってから許される。かつては神屋を中心に東西に分かれ、交互に上の句、下の句を掛け合い、または三方ばやしなどもあって神楽を盛りたてた。
とあり、この地割は神楽座が始まる最初に清め祓いの舞であるため、本来は二時間近くに及ぶ内容であるそうだ。

神楽座の祓い清めの舞であるため随所に五行思想の形が顕されている。
例えば頭に飾るシャグマは五色の布を細く裂いたものを付け、手に採る鈴木の緒飾りも五色布を垂れ下げる。

このような太刀を携えての舞は出雲神楽から宮廷神楽へと引き継がれ、また地方の社人神楽へと広められて行ったので全国一般に様々な形で伝えられているが、この九州の米良神楽系でも古態を残した剣舞が伝承されているということである。
動画でどうぞ。
