細越獅子踊り 柱掛かり
本日は細越獅子踊りさんの柱掛かりについて
細越獅子踊りの由来は当日パンフレット他から
明治17年の口伝があることから、それ以前より踊られていたと推測されます。火尻しし踊り(林崎・森の下地内、現在は消滅)の指導を得て、昭和7年~8年に復活したこともある。
昭和49年に再復活後には、保存会として毎年継続して保存伝承されて現在に至っている。
地元上郷村社である日出神社、上郷森の下の伊勢両宮神社、遠野南部神社の役ししを務めている。
とあります。
装束は、頭には日出神社、八幡神社の文字とお神酒徳利、雌鹿は紅葉に鹿が透かし彫りになっていて、前幕は黒布に大きく南部の向い鶴が染め出されている。
腰差しは割竹の先端に山鳥の尾を差し、竹の中ほどにはビッシリと端を赤く染めた切り紙を挟み込んでいる。
これを「伊勢の熊野のお祓い」と称しているそうだが、獅子踊りは厄祓いの意味もあるのだろう。

柱掛かりではニワの真ん中に棒杭が立てられる。
この時は最初に小切りで扇舞がはいり、次いでタネフクベと獅子一頭が舞い込む。
棒杭の真ん中に稲穂が結んであるが、踊る獅子のカンナガラが庭に落ちたのを拾い集めて棒杭に結んで稲穂を象ったこともあるという。

柱掛かりでは、タネフクベと獅子が柱をめぐって狂う様子が表現される。これは農作物を目当てに里に降りてきた鹿に対して人間が田畑を荒らされないように追い払う仕草ということだが、最後の角磨きでは仲良く柱に寄り添う。
人獣共存の世界だ。

獅子の建物(頭飾り)であるが、後すがりの物には「鎌」の彫り物のものがあるが、これは「命を掛けて踊りまする」という意味だと聞いたことがある。

最後に、森口著「岩手の民俗芸能 鹿踊篇下巻」から遠野の鹿踊りについて触れた一文を掲載する。
「・・・遠野郷のシシ踊りの特別の威容は山岳の霊をおもわしね、早池峰山または六角牛山を霊山とする山岳信仰の所産といってもよいであろう。」 と。同感です。
動画でどうぞ。
